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バスにひかれた私のBLOG

手術

手術は9回した。
約3年で9回。
最初の半年の入院で、5回やった。

最初の手術時。
意識は全然あったけど
一応、世でゆう重傷とゆう種類だったので
あるほーが不思議とゆう状況。
なので、流れに身を委ねるしかなかったので
手術に対しての、恐怖感などは
ほぼなかったように思う。

そんなことよりも、痛いし寒い。
これからどうなってしまうんだろ、私。
そんな状態を、早く回避したかった。
なので、むしろ。
早く手術してください。
もう、すぐにでもやってください。

そんな心境だったのだと思う。

もしこれが。
状況が違って、1ヶ月後の手術ですよ。
と、いうことならば。
もしかしたら、逆に恐かったかもしれない。
1日1日、少しずつ憂鬱になったのかも。

現に。
手術をしたくても、できない時期。
そんな状態が2度あった時には
毎日がとても重かった。
24時間そうじゃないけれど
心のどこかに、くずぶるものが常にあった。

しかも。
私の手術は、難しい手術とはいえ
命に関わるものではない。
悪性の腫瘍だとか
血液の病気であるとか。

そのような種類ではない。

だから、大丈夫なのだ。
例え、成功率が低くとも
生きる死ぬの問題じゃないのだから。

手術をして、あまりよい結果じゃなかった時も
確かに落ちたけれど
最後にはそう思えた。
そうゆう人達が、たくさん周りにいたから。

手術ができるだけいいのだ。
できる状態なのだ。
したくても、できない時。
したくても、できないひと。

それに比べたら
少しでも先にすすめるのなら。
少しでも良い方向にむかうのなら
どんな手術でも受けたいと思う。

今後。
私にあう、新しい何かの方法がでてくることを願おう。

でも。
術後の、背中からの痛みどめ。
脊髄に入れておくあれ。
あれは嫌だなあ~(笑)。
# by akiaki2u | 2008-12-27 21:51 | 手術

階段

病院で。
14時の検温が終わると
あとはほぼなにもない。
夕食時間の18時がくるまで
見舞いの誰かがこない以外は
本当に何もない。

ベットから動けない時期。
ベットから動いてもよい制限時間。

その時期の私は、当然おとなしかった。
そのへんは、あたりまえだけど、守った。
守らないと、とんでもない危険が待っていると
自分が一番よくわかっていた。

でも、3年と少しの入院の中で。
後半は、ある程度の自由があった。
術後しばらくすると、リハビリの為には
むしろ、歩かないと退化してゆく。

長い付き合いの形成病棟では
もう、私はフリーダムだった。
私の気質をよく理解してくれていた。
なので。

午後、ある程度の時間になると。
勝手に検温し、勝手に院内リハビリに出た。
ベットの上に毎日。

「今日の体温、○○度。
院内リハビリに行ってきます」
とゆう札をかけて、消えた(笑)。

時に。
マジ脱走で、院内にいないこともあって。
院内放送で私の名前が連呼され続け
びびったこともあるけれど(笑)。
でも、ほとんどは、本気でリハビリしてた。

特に、後半の時期。
私のリハビリは、階段だった。

10Fからエレベーターで1Fへ。
そして、ひたすら黙々と階段を昇る。
そう、10Fまで。

それを、何度も何度も何度も。
数え切れないくらいに、繰り返した。

降りる動作はヤバイ。
けれど、昇るには、膝も足首も
負担をかけない昇り方ができる。
それには、ケツ筋なのだ。

とゆうよりも、あの時の私の足は
極端に左だけ細かった。
膝下は仕方が無いとしても
膝上からの、太腿や後側。
全てにおいて、筋力がまるでなくなっていた。

それには、階段を昇るのが
最もてっとり早い。
ケツ筋を意識して、背筋をのばして
背筋を意識して、腕をふって。
太腿の後ろに力を集中して
左右のバランスを考えて。

毎日毎日、階段をあがった。

そうこうしているうちに
左右の太腿が、ほぼ同じ太さになり
息もきれなくなった。
身体が、とても楽になった。

そして。
杖を離せるようになった。

だから。
今でも私は、どこを歩いていても。
昇り階段がある場合は
必ず階段を利用する。

心配してくれるひともいるんだけど
本当に昇りは大丈夫なんだよ。
くだりは、慎重にしないとヤバイけどね(笑)。

けど。
あまりにやりすぎで
一時、太腿がアスリートみたいになったことは
ここだけの話にしといてください(笑)。
# by akiaki2u | 2008-12-25 17:25 | リハビリ

歩調

足に不自由さを抱えているひと。
そのひと達みんながそうとは言わないけれど。
でも、やはり多いんじゃないかな。
そう感じているひと。

私の歩くスピード。
退院当初よりは、随分と早くなった。
だけど、以前の私よりは
全然スロー。
一般的にみても、遅い。

特に、大阪あたりにゆくと
とんでもなく遅い。
どんどんとひとの波が押し寄せてきて
どんどんと追い抜かれてゆく。

そのことに、なんら特別な感情はないだけども
だけど、誰かと一緒の時。

一緒に歩いているひとが
常に私の前を歩いていることがある。
最初は自分のペースで歩いているのだけれど
気づけば無意識に、そのひとのスピードに
追いつこうと必死に歩いている自分がいる時がある。

それはそれで、なんとも思わない。
それでいいと思う。

だけど。
私のペースにあわせて歩いてくれるひと。
そうゆうひとがいると、とんでもなく嬉しい。

言葉には出さないけれど
ちゃんとわかってます。
そして、とてもとても有難いと思ってます。
本当に。

その行為は私にとって
とてもとても大きなもの。
一緒に歩いてくれている気持ちが
足の不自由な私にとって
どれほど大きいものか。

感謝の思いでいっぱいです。
# by akiaki2u | 2008-12-25 01:31 | その他

戻る

私は、やっぱりこれでいいんだ。
そう思えた。

そう思えた瞬間に、何かが変わった。
とゆうか、戻った。

今まで積み重ねたもの。
あの事故で積み重ねたもの。
訴訟で積み重ねたもの。

正直、しんどいことだらけだった。
だけど、投げ出すわけにはいかない。
私のことだから。

そうやって、自分の中に積み重ねたきたもの。
ひとに誇示することじゃなくて
私の中に積んできた結果。
やってきてよかった。
これでよかった。
間違ってなかった。
そんな結果。

私が私でよかった。
私がこの私でいいんだ。
これでいいんだ。

そう思えた積み重ね。
それが、壊れた。
私の積み重ねたものは間違っていたのか。
間違いだったのか。

私は出来ていない人間で。
間違いもたくさん犯す人間で。
だけど、この積み重ねだけは
私の中の、確実に確かなものだった。

だけど、それが壊れた。

どうしていいのかわからなくなった。
自分で自分がわからなくなった。
考えたくなくなった。
ずっと眠っていたい。
逃げたくなった。

でも、先日訪ねた病棟で。
やはり、あの時の私は
あれでよかったんだ。
そう、思えた。

だから。
今、私は決断できたのだ。
自分の気持ちに、やはり正直になろう。
これからも、私が私でいるために。
# by akiaki2u | 2008-12-24 21:05 | その他

病院でクリスマス

目がさめたら
4個のケーキが並んでた。

数年前のクリスマスイヴ。
私は、エキスパンダーの摘出と
植皮部分を覆う手術を受けた。

午後からの手術で
病室で覚醒したのは
確か20時過ぎだったと思う。

酸素マスクがうざくて目が覚めた。
視界の中に、母親がいて
その横の棚に、ケーキが並んでたのだ。

「みんなが、あげたまちゃんのために
食べないでとっておいてくれたよ」
看護士さんが言った。

クリスマスだから。
夕食にケーキが出たのだ。
こんな日だから
6人のうち、2人は外泊でいない。
残りのみんなが
手術明けの私のために
ケーキを食べないでいてくれたのだ。

嬉しかった。
涙がでそうだった。

聴診器で、胃腸の動きを確認した看護士さんが
「食べていいよ」とゴーサインをした。
お腹がすいているのかいないのか。
そんなのはわからない。
そんなことはでどーでもいい。

私は、ただただ無心にケーキを食べた。
術後すぐは、テンションも高い。
何を喋ったのかはよくおぼえてない。
だけど、おいしいおいしいと
ひたすら連呼したのはおぼえてる。

本当は、きっとさほどおいしくないはずだ。
だって、病院食のケーキだもん。
だけど、味なんてどーでもいい。
私には、とてもおいしかったのだ。

そして。
食べ終わった私は
またすぐに眠った。

今でも、あの時のケーキの味は思い出せない。
だけど、あの光景はずっと忘れない。
# by akiaki2u | 2008-12-24 16:06 | 入院生活



バスにひかれた元バスガイド 復活迄の日々と今を綴ります