バスにひかれた私のBLOG

できない訴訟

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入退院を繰り返す中。
私の原動力のひとつにこれがあった。

全ては訴訟で。

そう。どんなに不可解なことや理不尽だと思われることがあっても
どんなに腹ただしく、どんなに納得できなかったとしても
全ては訴訟を起こした時にぶつけよう。
そう思って、自分の中で処理をしてきた。
むしろ「これで私が優位にたつんだ」。
ムカツクことがあるたびに、そう思うようにしていた。

客観的にみて。
事故後の会社や運転手の私に対するものは
とんでもなくありえないものだった。
誠意のかけらも感じられなかった。

「この事故は私の運命」。
そう思った。不思議なくらいに、「なんで私が」とは思わなかった。
が、ヤツラとの接触後のストレスは相当なもので
思いたくないのに、思ってなかったのに
「なんで私が」と、思ってしまうほどの屈辱感に落ちることがあった。

あまりの誠意のない言動に、さすがの医師や看護士も
「説明したんだけど、あのひと達はわかってるのかな.....」と。
ここに綴ることでさえも吐き気がするような対応だったのだ。

怪我にだけ。
後遺症にだけ。
手術にだけ。
入院にだけ。
今の自分にだけ。
今後の自分にだけ。

あの時だけは、そこにだけ向かわせて欲しかった。
そのことだけに集中させて欲しかった。
私の1番大きなストレスは、事故じゃなく
むしろヤツラだったとも思える。

心のバランスを崩しそうになることもあった。
けれど、そこを「訴訟」という形で対処してきた。
全ては最後に。
そう思ってやってきたんだ。

だけど。
そんな会社が北海道から撤退することになった。
弁護士には「訴訟できない」と言われた。

運転手が行方不明から戻り、またのうのうと
観光バスの運転手に戻ったことを知った。

全てをここに。
そう思ってやってきたのに、訴訟ができないのか。
私はただひかれ、ただ耐え、ただただ後遺症と付き合ってゆく。
命ギリギリだったことも、明らかに運転手のミスだったことも
会社の手続きを全て怠っていたことも
不正に私の金をひっぱっていたことも。
全ては訴訟で解決しようと思ってやってきたのに。

私は。
生まれて初めて、心の底からひとを憎んだ。
生まれて初めて、怒りで全身が震えた。

でも思った。
これで終わってたまるか。
そう。このぶんもぶつけてやるんだ。

そして決めた。
日本中の弁護士が「訴訟できない」と言っても
私がやってやる、と。
自分のために。

私が、更にひとかわむけた瞬間だったと思う。
自分が自分として成り立つために
私はまた、ここから這い上がらねばならない。
その日から、私は弁護士探しに翻弄した。
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by akiaki2u | 2007-12-06 10:46 | 訴訟
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