パラリンピック
ごぶさた。
また、放置してたますた。 こっちのブログ。 ほんで なんでパラリンピック テレビ中継しないわけ。 なんでしょ、この差。 どっちもスポーツじゃん。 どっちも4年に1度じゃん。 どっちもアスリートじゃん。 なんでー。 ねえ、なんでー。 ぶっちゃけ、むかつく。 非常に腹立たしい。 福祉うんぬんとか ボランティア精神だとか 奉仕の心だとか。 あえてそうゆう言葉を使う前に まずは、こうゆうことからなんじゃない? パラリンピックをスポーツとして 普通に中継することが 本当は普通のことで。 そうすることで 自然とそうゆう気持ちが 育ってゆくんじゃないのかな。 手を差し伸べることも 普通のことになるんじゃないのかな。 自然なことになるんじゃないか。 健常者のするスポーツと 障害者のするスポーツ。 どこに差があるとゆうのか。 同じスポーツじゃない。 同じアスリートじゃない。 なんで、ニュースだけ。 わたし、スポーツみたいんだけど。 感じ悪い、この国。 ところで。 やっぱりわたしとしては パラリンピックとゆうと 同じく足に障害を抱えているひとに どうしても気持ちがいってしまう。 そして どうして障害を持ったのかとゆう その理由を知るにつけ とても、心臓が痛くなる。 わたしなんかはなくそだなあ... そう思うと同時に 事故にあったひとの その時の痛みが リアルに想像できてしまう。 はさまれた、だの ちぎれた、だの つぶれた、だの。 自分のあの時の痛みの感覚が フラッシュバックする。 痛いを超越した、あの感覚。 熱くて、とにかく熱くて。 はちきれているような 足が爆発したような あのとんがった感覚。 わたしはミラクルで なんとか足は繋がった。 残った。 けれど 「いっそ切断しちゃったほうが」と 申し訳ないけど 思ったことが何度かある。 切らなくてもいいんだ。 そうわかった時 あれほど嬉しかったのに。 なのに 「ついてるほーが辛い」なんて とんでもないことを 思ったことがある。 痛くて眠れない。 動かなくて重い。 自由がきかない。 しびれる。 キツイ。 しんどい。 義足にしちゃったほーが 自由になれるんじゃないか。 走れるし 痛みと戦うこともないし 皮膚にびくびくしなくてもいい。 そんなことが 頭をよぎったことがある。 自分の足が存在していること。 それが どれほど重要なのかってことを 忘れてしまうことがあった。 けれど。 実際、切断してしまったひとを 目の当たりにした時 どれほど自分が 醜いことを思ったりしたのかってことを 知ったんだ。 どんな足でもいい。 自分の足があるってことのありがたみを 知ったんだ。 身体に不自由なところがあって それを補うためのトレーニングをし 自分のできるスポーツにトライすること。 鍛え方は 健常者のアスリートとは違っても 一般的なスポーツじゃなくっても 同じじゃないの。 パラリンピックにも メダリストはいるぜ。 納得いかないぜ、マスコミ。
by akiaki2u
| 2010-03-16 22:35
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