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バスにひかれた私のBLOG

感謝

思い出した。

いや、忘れてなんかいないけど
忘れるわけはないけど
なんとなく
遠いものになっていた。

今日よっちゃんと話していて。

自分のあの時のこと。
事故にあってからの今。
心が、思い出した。
あの時期の感情の色々は
心の奥に刻まれてる。
自分に起こっていたあれこれを
口にしてゆくたびに
心が思い出すんだ。
痛くなったり
軽くなったり。

時の経過は
悪いものとは思わない。
年齢は重ねてゆくけれど
きっと少しずつ
衰えているのだろうけれど。
でも、時間が解決してくれることって
絶対にあるはずだから。

けれど。
時の経過とともに
風化してゆくものあって
風化させちゃいけないものもあって。

あの時期があったから
今のわたしがある。
あの過去があったから
今のわたしが形成されてる。
なにかひとつでも欠けていたら
今のわたしとは
違う自分がいるのだ。

ひとの痛みを
なんとか理解しようと思うけど。
なんとか理解したいと思うけど。
でも、どんなに近づこうとしたところで
やっぱり、本人にはなれない。
むしろ
わかると感じるほうが
無責任な偽善者だと思える。

けれど。
僅かな部分。
形も道も違うけれど
ほんの少しリンクするところがあれば
ほんの少し自分のことと重なれば
ほんの少しだけ
痛みに近づくことができるのだとしたら。

だとしたら
やっぱりわたしは
事故にあってよかったのだ。
そう、思える。
失ったものよりも
大きなものになる。
そう、思える。

これから寒くなり
わたしの心は、時々弱くなる。
足への不満が
正直、出てきてしまう。
出てきたところで
どーにもなりはしないのに
よい結論なんかありはしないのに
どうしようもない気持ちに
なってしまう時がある。

そんな寒くなりかけの時期に
わたしの心が正された。
軌道修正する前に
まずは
よいスタートをきれたような。
そんな気持ちになりました。

ありがとう。
# by akiaki2u | 2010-10-01 22:49 | その他

痛みの種類

「ふ」と思う。

変化したなー。

そう、思う。
あることはあるんだけど
過去のものとは違うんだ。
消えたものもあれば
増えたものもある。
あっちのは消えたけど
こっちには増えた。
つくづく
人間の構造っておもしろい。

受傷してから今まで。
「痛みってこんなに種類があるんだ」と
そう、つくづく思うのだ。

事故にあうまで
わたしが感じたことのある痛みは
「いったー」という
瞬間的にがーっとくる痛み。
いわゆる
ドアに指を挟めたとか
ナイフで指で切ってしまったとか
どこかにどこかを強打したとか。
重たいものでも
「歯が痛い」。
「お腹が痛い」。
たまーに
「頭が痛い」。
そんなものしか、感じたこと
なかったんじゃないかと思う。

でも、受傷してみて。
「あれは痛みじゃなかったのな」と
そう実感するのだ。

当然、事故にあった瞬間は
もう、言葉に出来ないほどの
痛みを超越したものだった。
そりゃそーっか。
バスにひきずられて踏まれて
ぐちゃぐちゃになってたんだから。

でも、そこは
あまりの昇天さに
もう、よくわかんないレベルであって。

リアルに思い出されるのは、その後。
救急車で運ばれているあたりからだ。
ちょっとでも車がゆれるだけで
「殺してくれーっ」と思うほど。
いや、実際死んじゃうのは無理だけど
そんくらい。
そう思うくらいに、マジ激痛。

手術前の脊髄への注射も。
寝たきりだった時の身体の痛みも。
動脈の血流の悪さも。
神経むきだしの感覚過敏も。
恐ろしいくらいの鈍痛も。
眠れないくらいの激痛も。
筋肉の硬縮の感覚も。
リハビリでの訓練も。
処置されている間の時間も。
もう、あれもこれも
全てにおいて、痛みが伴った。

つまり
なにをやっていても痛みが付帯してて
あちこちに違う痛みが走る。

声に出したい痛みもあれば
呼吸さえ苦しくなるものもあって
横になっていても消えないものも
黙っていることさえ苦痛なものも。
とにかく
痛みって、無限なのだ。

きりきり。
じくじく。
がんがん。
ぴりぴり。
びりびり。
ちくちく。
ずきずき。
どんどん。

そして

ぎゃー。
ひえー。
くぅー。
きぃー。
ああー。
うおー。
ふぅ。
はあ。

心の叫びでもあり
声に発することもあり。
瞬時にくるものも含めると
もう、とんでもない。
痛みってとんでもなく多種なのだ。

「どう痛いですか」
「どう感じますか」

そう、医師に問われるたびに
どんどん、自分の痛み表現語の
キャパが広がってゆく。
そして、改めて思う。

日本語ってすげえ。

どんだけ表現できるのよって話。
どんだけ伝えられるのよって話。
そんなところで

日本人でよかったかも。

そう、感じたものさ(笑)。
ビバ、ジャパニーズ。
# by akiaki2u | 2010-09-17 10:18 | 受傷

動脈

いやー。
ちょー久しぶりです
こっちへ綴るのは。

あまりに久しぶりなもので
過去にどんなことを綴ったのか
もはや、記憶にありません(笑)。

なので
今後綴ってゆく事柄が
過去とおーいにかぶること
あるかもというところだけど。
ま、いっか。
ここは
わたしの中の記録ブログなので。

「動脈がない」。

このことを
今になってからのほーが
より、大きく実感してる。

入院当時も
この動脈が1本ないことにより
なかなか前に進まないことや
方法を変えなくてはいけないこと。
なによりも
大きな移植ができなかったこと。
実に不便なことが
たくさんあったものだ。

けれど、今。
後遺症として
たくさんのものは抱えているけれど
この動脈がないことでの
血流の悪さというのは
時々、耐え難いものがある。

わたしの足は
あっちを立てれば
こっち立たず、という状況で
整形分野と形成分野のバランスが
このうえなく悪い。
機能を重視すると
内部に悪い。

つまり。
血流の悪さからくる冷えをガードするため
ほかほかムートンブーツをはくけれど
そうすると
足首が固定されないために
歩行が非常に困難になる。

冷えをブロックするために
ソックスをはきたいけれど
そうすると足が滑ってしまい
歩行できなくなってしまう。

どこかで無理をしなければいけない。
ちょっと悪循環なのだ。

後遺症の中で
上手に歩けない
走ることができないというのは
もちろん、最大のネック。
けれど
この冷えというのが
実は、最もつらいのだ。

足を温めても
正直、さほど効果はない。
要は、気候なのだ。
特にわたしの足の場合は
湿度に関係が大らしい。

ときおり
足の甲が氷のように冷たくなり
呼吸さえもつらくなる。
足を切り離したくなってしまう。
どんなに温めても
外気がマイナス気温だったりすると
そこには、もう
解決方法はない。
ひたすら、我慢しかない。

けれど。
そこで「痛い痛い」と
寝込んでいても
わたしの場合は
治ってゆくものではない。
闘うしかない。
それしかないのだ。

だから
無視する。
寝込んでいても痛いのならば
寝込んでいる必要はない。
痛いのがまぎれるような
そんな行動をおこすしかない。
外にでる。
ひとに会う。
リハに集中する。
喋る。
唄う。
動く。
そして...

国外逃亡する(笑)。

そう。
寒いところで
しんどい日々を送るなら
暖かいところへ飛んでいけばいい。
お金の問題なんて2の次だ。
使ったぶんだけ
必死に稼げばいいのだ。

血管の意味なんて
考えたこともなかった。
こんなにも大事なものだったのだ。

けれど、思う。
1本なくなってしまったと
後遺症に悩むより。
よくぞ、残ってくれたものだと
あとの2本のことを思う。

そう。
1本はなくなってしまったけれど
あと、2本もあるじゃないか。

ありがたい。
# by akiaki2u | 2010-09-11 15:57 | 後遺症

写真

「よく頑張りましたね」

普段とっても無口な先生に
ポツリと優しく
そう言葉にされた時。
わたしの目から
ボロボロと涙がこぼれ
感情をおさえることが
できなかった。
おさえようとも思わなかった。

最初の数ヶ月の入院。
春が終わり夏が終わり
気づけば秋になっていた。

明日、退院かあ。

また、ちょっとしたら戻ってくる。
こことの縁は
まだまだ続く。
けれど、大きなひと区切り。
難しかった試験を終え
卒業するみたいな気分。

とても濃い毎日で
新しい経験ばかり。
悲しくて辛くて
痛くて苦しくて。
だけど
嬉しいことも
楽しいことも。
嫌なことばかりなんかじゃなかった。

そんな
退院当日。
わたしは、写真の束を
みせてもらったんだ。
救急車で運ばれてから
ゆっくりでも
自分の足で前に進めるようになった
この日まで。
形成外科の治療では
毎日毎日
わたしの足の写真を撮っていた。

「吐きそうになるかもしれませんよ」

わたしが
写真を全てみせて欲しいと
そう、先生にお願いした時に
いわれた言葉。
けれど
これがわたしのリアルなんだ。
現実なんだ。
全ての経過をみて
ようやく本当の
区切りがつくんじゃないかって。
そう、思ったんだ。

当日の朝。
ベッド周りを片付けて
最後の診察へ。
そして、みた。

先生が
ポラロイドの束を
そっと渡してくれた。
わたしはゆっくりと
1枚1枚。
確認しながらみていった。

ひどい。
こんな足だったんだ。
すごい。
こんな状態だったんだ。

事故直後に
自分の足はみたけれど
悲鳴をあげた瞬間に
画像がぶっとんだ。
あまりにひどくて
死んじゃうかもしんないと
感じたことはおぼえてる。
けれど、足のリアルは
あまりのショックに
鮮明ではない。

だから
改めて写真でみて
そして
再確認した。
再認識した。

わたしは、今で幸せなんだ。
こんな足になってしまった...
なんかじゃない。
ここまでの足に
してもらったんだ。
この先生や
看護士さんや
たくさんのサポートのおかげで
今のわたしがあるんだ。

嘆くことじゃない。
悔やむことじゃない。
感謝すること。
そして
前にすすむこと。
わたしがすることは
それだ。

そして先生の言葉。

色々な感情が交差して
わたしは涙を
とめることができなかった。
そして
今は泣いてもいいよな。
そう思った。

今現在
やっぱりしんどくて
どうしようもない日もある。
けれど
すすむことを
前にすすむことを
やめようと思ったことは
1度もない。
立ち止まることはあっても
後ろを向くことはない。

これが
わたしの運命なのだから。
# by akiaki2u | 2010-04-28 22:02 | 受傷

パラリンピック

ごぶさた。
また、放置してたますた。
こっちのブログ。

ほんで
なんでパラリンピック
テレビ中継しないわけ。
なんでしょ、この差。
どっちもスポーツじゃん。
どっちも4年に1度じゃん。
どっちもアスリートじゃん。
なんでー。
ねえ、なんでー。
ぶっちゃけ、むかつく。
非常に腹立たしい。

福祉うんぬんとか
ボランティア精神だとか
奉仕の心だとか。
あえてそうゆう言葉を使う前に
まずは、こうゆうことからなんじゃない?
パラリンピックをスポーツとして
普通に中継することが
本当は普通のことで。
そうすることで
自然とそうゆう気持ちが
育ってゆくんじゃないのかな。
手を差し伸べることも
普通のことになるんじゃないのかな。
自然なことになるんじゃないか。

健常者のするスポーツと
障害者のするスポーツ。
どこに差があるとゆうのか。
同じスポーツじゃない。
同じアスリートじゃない。
なんで、ニュースだけ。
わたし、スポーツみたいんだけど。
感じ悪い、この国。

ところで。
やっぱりわたしとしては
パラリンピックとゆうと
同じく足に障害を抱えているひとに
どうしても気持ちがいってしまう。

そして
どうして障害を持ったのかとゆう
その理由を知るにつけ
とても、心臓が痛くなる。
わたしなんかはなくそだなあ...
そう思うと同時に
事故にあったひとの
その時の痛みが
リアルに想像できてしまう。

はさまれた、だの
ちぎれた、だの
つぶれた、だの。
自分のあの時の痛みの感覚が
フラッシュバックする。

痛いを超越した、あの感覚。
熱くて、とにかく熱くて。
はちきれているような
足が爆発したような
あのとんがった感覚。

わたしはミラクルで
なんとか足は繋がった。
残った。
けれど
「いっそ切断しちゃったほうが」と
申し訳ないけど
思ったことが何度かある。
切らなくてもいいんだ。
そうわかった時
あれほど嬉しかったのに。
なのに
「ついてるほーが辛い」なんて
とんでもないことを
思ったことがある。

痛くて眠れない。
動かなくて重い。
自由がきかない。
しびれる。
キツイ。
しんどい。

義足にしちゃったほーが
自由になれるんじゃないか。
走れるし
痛みと戦うこともないし
皮膚にびくびくしなくてもいい。
そんなことが
頭をよぎったことがある。

自分の足が存在していること。
それが
どれほど重要なのかってことを
忘れてしまうことがあった。

けれど。
実際、切断してしまったひとを
目の当たりにした時
どれほど自分が
醜いことを思ったりしたのかってことを
知ったんだ。
どんな足でもいい。
自分の足があるってことのありがたみを
知ったんだ。

身体に不自由なところがあって
それを補うためのトレーニングをし
自分のできるスポーツにトライすること。
鍛え方は
健常者のアスリートとは違っても
一般的なスポーツじゃなくっても
同じじゃないの。

パラリンピックにも
メダリストはいるぜ。
納得いかないぜ、マスコミ。
# by akiaki2u | 2010-03-16 22:35 | その他



バスにひかれた元バスガイド 復活迄の日々と今を綴ります