バスにひかれた私のBLOG

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強さ

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ひとは私を強いという。

けれど、自分ではわからない。
私という人間が強いのかどうかなど。

ただ、弱くはないとは思う。
とゆうか、そんじょそこらのことでは、へこたれないとは思う。
そして、へこんでいられるか、とも思っている。
でも、そこで勘違いしてはいけない。
仮に私が強いのだとしたら、それは、私ひとりでこうなったのではないということを、だ。

人間はみんな弱い。けれど、環境や経験から強くなる。
そう思っている私がいるけれど、
人間はみんな強い。けれど、環境や経験で弱くなる。
そう考える知人もいる。

が、ただひとつわかっていることは、生まれたときはみんな同じってことだ。

そんなふうにして生まれた私が、こうゆう人格になった。
もちろん、たくさんの欠点があるに違いない。
だけど、このへこたれない私とゆう部分において、
何度となく、私が私自身に救われた。それは、事実だ。

そして、そんな自分になったのは、これまでに私に関わってくれた人、
起こった全ての事柄からの結果なのだと思う。
とすれば、事故にあった時から私に関わってくれた人。
そもそもの事故とゆう事柄。
ここに、深い意味を見出すべきなのだろう。

もっともっともっと。
今の私は、もっと強くなりたいと思っている。
でも、その強さがどうゆうものなのか、あまりに抽象的すぎて
上手な言葉にはできない。

「そんなに強くならなくていいのだよ」
「もっと弱味をみせてもいいのだよ」
「たまにはへこんでもいいじゃない」
そう言ってくれるひとがいる。

もちろん、その言葉は理解できる。そして、私を思っての発言だということも。
だけど、私のそれは少し違う。違うのだ。

私は「強くなくてはいけない」と、そこだけに目を向けているわけじゃない。
弱味だって、みせるときはみせてるし、へこんだときにはへこんだと口にする。
けれど、自分にふりかかる問題が大きければ大きいほど、それじゃいけないのだ。
その問題が、自分にしか解決できないことであればあるほど、
落ち込んでいる暇などないのだ。

長いトンネルに居座り続けるほど嫌なものはない。
そう、私が最も嫌なのは、大きな問題じゃなく、その問題によって
自分が大きく左右されてしまうことなのだ。

そして。
私に大きなものをくれたたくさんの人達。
私を残し、この世界から姿を消してしまった人達。
その人達のぶんまで、とは言わない。
だけど、その人達が私にくれたものをつぶしてしまうわけにはいかない。
私ができる恩返しは、もらったものを生かし続けること。
それには、強い私であり続けることが必要。

でも、思う。
弱い自分を克服するたびに、強くなってゆくんじゃないか、と。
だから。
弱さがあって、初めて強さがあるんじゃないか、と。
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by akiaki2u | 2007-07-28 19:35 | その他

下半身麻酔

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「キャーーーーーーーーーーーーーー!!」

私より先に、看護士さんの悲鳴。
当の私はとゆうと、何が起こったのかよくわかっておらず。
とはいえ、激痛が走ったことに間違いはない。

あれは、いったい何度目の手術だったのだろう。
入退院を繰り返した約3年半の間に、私は9度の手術を受けた。
2ヶ月弱間に3度の手術をしたこともある。
そんだけ手術を受けると、なんとゆうか、「プロ」になれるものだ。
手術なんぞ、なんとことはない。頑張るのは私ではなく医師。
ま、そうゆう言葉も、私が内科的な病ではないから出るものなのだが。

とにかく、この激痛は、術前におきた。
私が手術を受けるのは、常に左足。
全身麻酔で手術を受ける場合であっても、まずは下半身麻酔を受ける。
術中に足が動いては大変だからだ。

下半身麻酔は、ご存知のとおりに脊髄に打つ。
何度も何度も場所を確かめた麻酔師が打つ。
普通の注射器や注射針とは違い、大きく太いもので、だ。
この位置が少しでもずれたら大変な結果になるとゆうのは、
殆どの方が理解できることだろう。

この日も身体を横にむけて幼虫のように丸くなり、背中をつきだした。

「いくよ~」
「は~い.............ウっっっっっ!!!!!!」


ただでさえ痛いこの注射。
が、この時のこの瞬間の痛みは、そんじょそこらの痛みではなかった。
声を「キャー」と発せるる痛みではなく、逆に「ウっ」と殺す痛み。
そして、宙に何かが舞ったのがみえた。それが何なのかはわからなかったけど。

つまり、こうだ。
何度も何度も同じ箇所に注射針を打っていたせいで
太い針でもささっていかないほどに、そこの部分がかなくなってしまっていた。
なので、グっといこうとした瞬間、針も注射器もはねかえしてしまったのだ。

恐ろしい。
実に恐ろしい。
手術よりも、こっちのほーが恐ろしい。ったく。
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by akiaki2u | 2007-07-25 18:58 | 手術

事故について その3

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何度も何度も叫んだ。運転手の名前を、何度も叫んだ。

けれど、バスはバックし続けた。
とうとう、大きなタイヤが私の足を踏み、そして乗り越えた。
意識がはっきりしていた私の心臓と脳みそは、今まで感じたことのないものになっていた。

そして。
やっと、バスが止まったのは、運転手が「何か缶でも踏んだかな」。
そう思って、一応確認しようとしたから、らしい。
つまり、私の足を空き缶か何かだと思ったようだ。
後日、他の運転手達が言っていた。「ねずみがタイヤに絡んでも違和感があるのに」と。
今言っても遅い話だが、ここまで気がつかなかったことが不思議でならない。
しかし、事故というのは、そうゆうものなのかもしれない。
それで済む問題じゃないけど、全然。

のらりくらりとバスから降りてきた運転手が、私の名前を叫んだと同時に。
私の耳には、たくさんの悲鳴がきこえてきた。
いったい、この数分の間に何が起こったのだろうか。
ほんのついさっき、私は普通に歩いていたのだ。
こんなことになるなんて、こんなことが待っているなんて、
0,1%も想像していなかった。
今、私はどうなっているのだろう。

誰かが、私をバスから少しひきずりだし、身体を上に向かせてくれた。
私の視界には、広い曇り空が広がった。
ポツポツと、雨が顔にあたる。

もしかしたら、私の足はついていないのではないだろうか。

痛みなどとゆう範囲を超えた、たとえようのないものが襲ってきた。
ここから私の闘いが始まり、新しい人生への幕開けが始まったのだ。
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by akiaki2u | 2007-07-10 14:01 | 受傷

事故について その2

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いったい何が起こっているのだろう。

あまりの一瞬の出来事に、私は、自分の今を把握することができなかった。
何これ何これ。そしてすぐに、タイヤがグンと動いた。バスの大きなタイヤが動いた。
しかも、私のすぐ横で。

バスの下に入った私だったけど、かろうじて顔や肩は出ていた。
いや、正確にいえば、どの程度出ていたのかはよくわからない。
ただ、やけに視線が低く、アスファルトが近かったのは鮮明だ。
うつぶせに近い体勢だった。手のひらは、地面についてはずだ。

運転手が、全く前方を見ていなかったのだ。
誘導していたガイドのホイッスルも、彼女が私の名前を絶叫したのも
「止まって」とゆう言葉を、悲鳴のように叫び続けていたのも。
運転手には、その何ひとつも聞えていなかったようだ。
車体の頭をふって切り替えて、そしてバックしようとしていたらしい。
最初にバックしていたラインでは、うまく駐車できないと判断しての行為なのだろう。

頭をふった時に、背後から私に追突し、そして切り替えてバック。
そう、私の左足は、そのタイヤとアスファルトに挟まれてしまった。
タイヤよりにあった右足は、とっさにグっとひいたようだ。折り曲げるように。

バスはバックをし始めた。
それでもまだ私は、まるで夢でもみているかのような感覚だった。
私がバスにひきずられている。さっきまでそこをスタスタ歩いていたのに
なぜだかわからないけれど、今はバスにひきずられているのだ。
声を出したい。大声で叫びたい。でも、なんでだろう。声がでない。
「止めて」。そう声にしたい。でも出ない。

いったい、どのくらいの距離をひきずられたのだろう。
いや、とてつもなく長い距離ではない。けれど、まるでスローモーションのように
その時間が長く、そして遅く感じていた気がする。そんな記憶が残っている。
が、突然。「ふ」と、我に返った。これは夢ではない。夢なんかじゃないんだ。
私は今、大変なことになっているんだ。

そう思えた瞬間、私は悲鳴をあげていた。
どうゆう言葉を発したかはわからない。
でも、何度も何度も。心の底から何度も、私は運転手の名前を叫んだ。
それははっきりと憶えている。
だけれど。バスはすぐには止まってはくれなかった。
私の声も、誘導していたガイドの声も。彼の耳には届いていなかったのだ。
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by akiaki2u | 2007-07-10 01:39 | 受傷

事故について その1

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「バック誘導してたんでしょう?」

私がバスとバトルしたと知ると、たいがいのひとはこう言う。
だよねえ。普通はそう思うわな。

「違う。バスの前を歩いていて、背後からやられた」

そうこたえると、たいがいのひとは「?」だ。
だよねえ。あんまりピンとはこないよな。

事故の時のほぼ全てを、私はしっかりと記憶している。
バスが車庫に着き、私は事務所へ向かって歩いていた。
ほんの僅かな距離を、いつもと同じように。

けれどその後は、いつもと同じように...とは、いかなかった。

私が事務所へ歩行している時、1台のバスがバックし始めた。
もちろんこのバスの後ろには、ホイッスルを鳴らして誘導するガイドもいた。
そんなに広い駐車場ではなかったので、私はバスとスライドするように
そのバスの横を歩くはめになったけれど、バスとの距離は1m以上。
ミラーからも、きっちり見える位置だったし、このようなケースは、日常茶飯事。
ドライバーにしたってそうで、私が死角に入っていたとは思えない。

バスが後ろへバックして、私は前へ進む。
私の視界からバスが消えて、どのくらいした頃だっただろう。
多分、ものの数秒だろう。そんな時、急に私の名前を呼ぶ声が。
いや、悲鳴のような叫び声が、背後から聞えた。
そして、なにげなく振り返った私の目の前に。
もう、どうやっても避けられないそこに、大型バスが存在していたのだ。

ほんの一瞬だった。
目の前にせまったバスを見た瞬間、車体の左角と大きなミラーに体当たりされ
気づけば私は、バスの下に入っていた。何がなんだかわからなかった。
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by akiaki2u | 2007-07-09 18:42 | 受傷

時間

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毎日が早い。

1週間が早い。1ヶ月も早いし1年も早い。
同じ1日24時間なのに、こんなにも時間の経過が早い。
あの時の私には、ほんの1時間さえもとてつもなく長く感じたのに。

緊急手術を終えた私は、たくさんの器具につながれていた。
腰の感覚さえもにぶく、そこから下はなまりのようだった。
足がついている感覚など、ほんのこれっぽっちもなかった。
硬く長いギプスの下には、本当は足なんかついてないんじゃ...
そう何度も何度も思ったくらいだ。

身体のむきを変えることすら出来ない。
背中が痛い。
ベットの柵にしがみつき、どうにかむきを変えようとするけれど
それと同時に、たくさんの看護士さんがとんでくる。
HCUにいた私には、心電図も装置されていたからだ。

みるもの、みえるものは天井だけだった。
横にテレビはあるけれど、みる気力など1ミリもない。
誰かが置いていった本があった。
もちろん、開く力もない。

目をつぶってみる。
頭をからっぽにする努力をしてみる。
今の私の現実を、まだ受け入られる自分ではないからだ。
そうやって、なんとか時間が経過するのを待ってみる。
けれど、目をあけて壁にかかっている時計をみると
ものの10分程度しか経過していないのだ。

長い入院生活、繰り返される入院生活。
ひとの流れのない土日の病院は、空気が動かなかった。
普段はバタバタしている看護士さんの動きがなく
ゆきかう患者の姿もない。
私の受ける治療も朝だけで、リハビリもない。
そんな病院の1日は、倍の48時間あるのではないか。
そう思えた。

が、今。24時間でも短いと思えている私がいる。
日々の内容は別として。
動ける自分が存在しているからなのだろう。
時間を使っている自分がいるからなのだろう。

そして。
あの時の私があったから、今そう思えるのだろう。
人生には、やはり無駄なことは何ひとつないのだ。

でもそれは、今こうして動ける自分がいるから思えること。
今私がこうしている間にも、天井をみながら、時間が過ぎるのを
待っているひとがいると思うと、心が張り裂けそうになる。
自分の今に、ありがとう。
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by akiaki2u | 2007-07-07 19:05 | その他

現実

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今日なのか。それとも明日なのか。

天井をみながら、ベットに埋もれながら。
テレビをみることも、本を読むこともできず。
私は、切断するか否かとゆう現実と闘っていた。

いや、正確には違う。
私ではなく、私の足が必死になっていたのだ。

いくら切断を回避したいと願っていても
私の意志が通る問題なんかじゃない。
全ては、この足と、先生の判断に委ねられていた。

思いっきり泣けばすっきりするのだろうか。
けれど、あの時の私は、泣くことすら出来ないでいた。
また、そんな落ちている自分をながめている
違う私の存在が、どこかにあったのも事実なのだ。

悲しい。せつない。辛い。
へびの生殺しのような日々の中で、とてつもなくしんどかった。
けれど、私が落ち込んでも結果は変わらない。
そう思う私もいたのだ。

毎日泣き暮らし、嘆き悲しむ。
そうすることが、果たして私にとって最も楽な毎日なのだろうか。
私が泣いても、足がよくなるわけではない。
私が悲しんでも、足に変化はおきないだろう。
私が落ちこんで、足は劇的に快方するのだろうか。
答えはNOだ。

逃げてはいけない。そう思った。
これはまぎれもなく、私の現実なのだ。
私に与えられているリアルなのだ。
私が逃げることではないのだ。そう思った。
逃げられるものなら逃げたい、そう思う私もいたけれど
逃げることなんかできやしない。逃げる場所なんかないのだ。

先のことを考えるのはよそう。
朝に検診を受けて、夕方までに呼び出しがなければ
その日の私の足は、翌日を迎えることができる。
1日1日。その日1日。
「今日も逃げないで過ごそう」。
そう思うことにした。

そして1ヶ月後。
私の足は、奇跡的に命をつないだ。
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by akiaki2u | 2007-07-03 15:11 | 入院生活

診断書

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「スネが折れていたら、すぐに切断だったでしょうね」
そう言われた。
「10日以内に、足首から下は確実に壊疽すると思っていました」
そうとも言われた。
「切断は免れたとしても、自分の力で歩くことは無理かと思います」
すぐに行われた緊急手術中、親はそう説明を受けていたらしい。

そんな私の足が、今こうやってなんとか頑張って働いてくれていること。
それは、果てしなく奇跡に近いことなのだと思う。
先生や看護士さん達は、間違いなく奇跡だと言っていた。

左下肢デグロビング損傷。
左膝伸筋支帯損傷。
左下肢前区画筋群損傷。
左○骨陥凹骨折。
左足関節両果骨折。
左第一○末節骨々折。
左第五中足骨開放骨折。
左○骨神経損傷。
左リスフラン関節脱臼。
左足関節拘縮。

整形外科の診断書には、病名としてこう綴られている。
わかっているようで、何がなんだか正直よくわからないのだが(笑)、
要は、スネ以外はほぼ全ていってしまってたってことだ。
そして。

左下肢剥脱創。

形成外科の診断書には、病名としてはこれひとつだけ。
整形で記載された「デグロビング」とは、このことだ。

こんだけ骨折していると、自分でも「あっぱれ」と思うけれど
でも、このデグロビングが最もキモだったのだ。
私の持つ身体障害者手帳にも、「左下肢デグロビング損傷」と
これだけが記載されている。
恐るべし、剥脱創。

ところで。どうして、お医者さんつーのは
みんな読みにくい字を書かれるのでしょうか。
病名の「○」は、どうやっても解読できない字でした。
毎度毎度色々書きすぎて、もう嫌になってんのかな(笑)。
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by akiaki2u | 2007-07-02 20:25 | 受傷

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私の事故記念日は5月12日。
GW明けの、まだ薄ら寒い日だった。

札幌近郊の高校生を乗せて、大雪山への宿泊研修。
バス10台口の連行仕事だった。
学校へ生徒を送り届け、10号車だった私のバスは
1番最後に車庫へ到着した。

会社の駐車場は、狭くはないけど広くもない。
先に到着していたバスはとっくに洗車を始めていたので
私を乗せたバスは、とりあえず隅にバックして駐車した。

「さて。車内掃除でもしようか」。
でもその前に。
ガイドはまず、事務所に「戻りました」の報告をする。
と、同時に、翌日の仕事もチェックする。
毎度、これがお決まりのパターンだ。
なので、その日の私もいつもと同じように
10号車のバスを降り、まずは事務所へ向かった。
100mもない距離を歩ききれば、事務所の扉があるのだ。
けれど、あの日の私は、その扉へ辿りつくことが出来なかった。

私がこの日辿りついたのは。
救急車の扉と、手術室の扉だったのだ。
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by akiaki2u | 2007-07-01 23:36 | 受傷



バスにひかれた元バスガイド 復活迄の日々と今を綴ります
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