バスにひかれた私のBLOG

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感謝

思い出した。

いや、忘れてなんかいないけど
忘れるわけはないけど
なんとなく
遠いものになっていた。

今日よっちゃんと話していて。

自分のあの時のこと。
事故にあってからの今。
心が、思い出した。
あの時期の感情の色々は
心の奥に刻まれてる。
自分に起こっていたあれこれを
口にしてゆくたびに
心が思い出すんだ。
痛くなったり
軽くなったり。

時の経過は
悪いものとは思わない。
年齢は重ねてゆくけれど
きっと少しずつ
衰えているのだろうけれど。
でも、時間が解決してくれることって
絶対にあるはずだから。

けれど。
時の経過とともに
風化してゆくものあって
風化させちゃいけないものもあって。

あの時期があったから
今のわたしがある。
あの過去があったから
今のわたしが形成されてる。
なにかひとつでも欠けていたら
今のわたしとは
違う自分がいるのだ。

ひとの痛みを
なんとか理解しようと思うけど。
なんとか理解したいと思うけど。
でも、どんなに近づこうとしたところで
やっぱり、本人にはなれない。
むしろ
わかると感じるほうが
無責任な偽善者だと思える。

けれど。
僅かな部分。
形も道も違うけれど
ほんの少しリンクするところがあれば
ほんの少し自分のことと重なれば
ほんの少しだけ
痛みに近づくことができるのだとしたら。

だとしたら
やっぱりわたしは
事故にあってよかったのだ。
そう、思える。
失ったものよりも
大きなものになる。
そう、思える。

これから寒くなり
わたしの心は、時々弱くなる。
足への不満が
正直、出てきてしまう。
出てきたところで
どーにもなりはしないのに
よい結論なんかありはしないのに
どうしようもない気持ちに
なってしまう時がある。

そんな寒くなりかけの時期に
わたしの心が正された。
軌道修正する前に
まずは
よいスタートをきれたような。
そんな気持ちになりました。

ありがとう。
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by akiaki2u | 2010-10-01 22:49 | その他

パラリンピック

ごぶさた。
また、放置してたますた。
こっちのブログ。

ほんで
なんでパラリンピック
テレビ中継しないわけ。
なんでしょ、この差。
どっちもスポーツじゃん。
どっちも4年に1度じゃん。
どっちもアスリートじゃん。
なんでー。
ねえ、なんでー。
ぶっちゃけ、むかつく。
非常に腹立たしい。

福祉うんぬんとか
ボランティア精神だとか
奉仕の心だとか。
あえてそうゆう言葉を使う前に
まずは、こうゆうことからなんじゃない?
パラリンピックをスポーツとして
普通に中継することが
本当は普通のことで。
そうすることで
自然とそうゆう気持ちが
育ってゆくんじゃないのかな。
手を差し伸べることも
普通のことになるんじゃないのかな。
自然なことになるんじゃないか。

健常者のするスポーツと
障害者のするスポーツ。
どこに差があるとゆうのか。
同じスポーツじゃない。
同じアスリートじゃない。
なんで、ニュースだけ。
わたし、スポーツみたいんだけど。
感じ悪い、この国。

ところで。
やっぱりわたしとしては
パラリンピックとゆうと
同じく足に障害を抱えているひとに
どうしても気持ちがいってしまう。

そして
どうして障害を持ったのかとゆう
その理由を知るにつけ
とても、心臓が痛くなる。
わたしなんかはなくそだなあ...
そう思うと同時に
事故にあったひとの
その時の痛みが
リアルに想像できてしまう。

はさまれた、だの
ちぎれた、だの
つぶれた、だの。
自分のあの時の痛みの感覚が
フラッシュバックする。

痛いを超越した、あの感覚。
熱くて、とにかく熱くて。
はちきれているような
足が爆発したような
あのとんがった感覚。

わたしはミラクルで
なんとか足は繋がった。
残った。
けれど
「いっそ切断しちゃったほうが」と
申し訳ないけど
思ったことが何度かある。
切らなくてもいいんだ。
そうわかった時
あれほど嬉しかったのに。
なのに
「ついてるほーが辛い」なんて
とんでもないことを
思ったことがある。

痛くて眠れない。
動かなくて重い。
自由がきかない。
しびれる。
キツイ。
しんどい。

義足にしちゃったほーが
自由になれるんじゃないか。
走れるし
痛みと戦うこともないし
皮膚にびくびくしなくてもいい。
そんなことが
頭をよぎったことがある。

自分の足が存在していること。
それが
どれほど重要なのかってことを
忘れてしまうことがあった。

けれど。
実際、切断してしまったひとを
目の当たりにした時
どれほど自分が
醜いことを思ったりしたのかってことを
知ったんだ。
どんな足でもいい。
自分の足があるってことのありがたみを
知ったんだ。

身体に不自由なところがあって
それを補うためのトレーニングをし
自分のできるスポーツにトライすること。
鍛え方は
健常者のアスリートとは違っても
一般的なスポーツじゃなくっても
同じじゃないの。

パラリンピックにも
メダリストはいるぜ。
納得いかないぜ、マスコミ。
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by akiaki2u | 2010-03-16 22:35 | その他

...。

自分が全て正しいなんて
本当にこれっぽちも思ってない。
思うわけがない。

けれども。
どう考えても
どう色々悩んでみても
やっぱりそこは違う。
そこだけは
やっぱ違うんじゃないか。
時間をかけて考えても
「やっぱ間違ってる」と
ひとに対して感じること
あるじゃないですか。

それが
近しいひとであればあるほど
「どうしよう」と考える。
言うべきか否か。

このままでいて
そのままでいて
よい方向にゆくとは思えない。
でも
「そのひとの為にならない」と
そう思うことは
偽善じゃねえか、わたし?
そこまでの人間か、わたし?

けど。
誰もそこにはふれないで
誰もそこを口にしないで
みないふりをして。
結果、みんなが離れていってしまったら
そのひとはどーするんだろう。
それはそれでいーのか?
いや、よくないよ。

でも。
わたしにだって
悪いとこはいっぱいあって
あわないひとだっていて
嫌われることだってあって
むしろ
嫌ってくれと思うような
性にあわないひとだっていて。
そんなわたしが
なにを口にできる?
そんな器じゃねえだろ、自分。

だけど。
そうやってスルーしといて
友達だっていえる?
付き合ってるっていえる?
友人だっていえる?
彼氏だっていえる?
親友だっていえる?

わたしは
筋を通して
はっきり言ってくれるひとは大歓迎。
わたしが自分できづいていない
悪い箇所を指摘してくれることに
ありがたいと思う。
でも、他のひとはどう?
そう思える?
ただ傷ついて終わらない?
ただ悲しいだけにならない?
みんなが
わたしと同じなわけじゃない。

だから
自分におきかえて考えてみる。
もしわたしが
どこかを指摘されたら。

そうか。
相手によるかもしれない。
口ばっかなひとに言われたら
きっとむかつく。
「おまえはどうなのよ」と
そう思えるひとに言われたら
絶対に反発するだろう。
なんであんたに
言われなきゃいけないの。
そう、思うだろう。

でも。
心あるひとに言われたら
わたしも心から
きちんと耳を傾けることができる。
一生懸命話してくれたら
わたしも素直になれる。
謝罪できる。
感謝できる。

これも
みんな同じじゃないかもしれない。
でも少なくとも
わたしや
わたしを理解してくれているひとは
同じ考え方なんじゃないか。
そう思う。

わたしが腹をたてるのは
わたしが怒るのは
わたしがそれを口にだすのは
確かに
一瞬の時もある。
決してわたしは
気が長いわけじゃなく
そこが
短所でもある。
わかってる。

だけど。
本当の本当に肝心なことを
ずっとずっと何年も
心にしまっておくことだってある。
口に出すか否か
長い間
考えていることだってあるんだ。

そして
それを口に出した時に
すっきりしてるわけじゃない。
気持ちがいいことなんかじゃない。
むしろ
気持ちが悪いほうが強いんだ。

ひととの付き合いは
難しくて簡単。
きっと
本当はシンプルで
簡単なことなんじゃないか。
そのひとに対して
誠実であればいいだけ。
素直に
まっすぐに
自分のいいところも
悪いところも
それも全部含めて
相手に対して
誠実であればいいんじゃないか。

だけど
そこがゆがんでしまうと
難しくなってしまう。

それが正しいのか正しくないのか
それもわからない。
答えなんてないけれど
でもわたしは
誠実でありたいと思う。
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by akiaki2u | 2010-01-04 20:58 | その他

痛感

なんとゆうか
とても複雑な気持ちになった。
いろいろな感情が交差して
ひとことでは表現できない。
そんな気持ち。

ちょっと前に
ちょー副業のお喋り仕事で
(とゆうか、副業の集合で生きてるけどっ)
あるひとと接点があったのね。
その「あるひと」とわたしは
初対面だけれど
その「あるひと」が
わたしの関わりのあるひとと
けっこー親しいひとだった。

副業で
バスに乗ってるの。
でもガイドと違って
ずっと立ちっぱで喋るわけでもなく
いーとこマイクをもって
15分程度。
基本、数分マイクで喋って
あとは座って打ち合わせしたり
ぼーっとしたり
作業してみたり
他スタッフとお話したり。
そんな程度。

車内で喋るよりも、車外。
つまり、降りてからあれこれと
喋ることが多いんだ、その仕事。
あ、ツアコンじゃないよ。

それでも
けっこーキツイ時がある。
口は元気だし
喋りにも困ることはない。
けれど
やっぱり動きが伴うことが多く
無理をしている部分も
当然でてくる。
でも、きっと。
ほぼ全員のひとが
わたしの足が不自由だなんて
気づいていないと思う。

でもそれは
わたしの足がそれだけ
自由が利くようになったわけでもなく
以前より回復したわけでもなく。
ただ、気づかないだけ。
気づくような場面に
でくわさないだけ。
「あれ?」と思う動作をするような
場面にでくわさないから。
杖もついてないし
大きくひきずっているわけでもない。
そしてわたしも
「これでギリ」とゆう
限界まで無理しているから。
だから、ぱっとみは気づかない。
そうゆうこと。

いえ。
それを言いたいわけじゃなくて。
そーじゃなくて。

要は
先日、たまたま乗り合わせたバスの
そのドライバーが。
わたしが、もう2度とききたくもない
名前を出してきたのだ。
そう。
わたしをひいた運転手と
親しくしてるらしかったのだ。

もちろん
わたしからあの事故のことを
話し出すわけはない。
もお、わたしには過去のことで
隠すわけじゃないけれど
わざわざ
わたしがいたあの業界のひとに
自分からアピることじゃない。
言う必要がないってことだ。
けれど。

あの日のドライバーに
「喋り、うまいね。元ガイドかなんか?」って。
そーきかれた。
「うまいね」は「ありがとうございます」って思うけど
「元ガイド?」ってとこが、ね。
まあ、隠すことでもないので
「はい、そうです」って
そーこたえるじゃない?

「もう乗ってないの?」
「乗ってませんねー」
「何年くらい乗ってた?」
「けっこー長く乗ってました」
「もう乗らないの?」
「足、ちょっと怪我しちゃったんで、キツイすねー」

これだけ。
この会話をしただけ。
なのに、そのドライバーが
「もしかして、○○くんの時の事故の!?」って。
いきなり、そーきいてきたんだ。
○○くんとゆうのは
そう、わたしをひいた彼の名前。
一瞬、具合が悪くなった。
もおいいよ、その話。
もおいいよ、その名前。
つか、なんでこれだけの会話で
すぐにぴんとくるんだろ。

「あーあ、この会話長くなったらめんどくさいな」
そー思ったけれど
嘘をつくところでもないので
「え。なんで知ってるんですか?」と。
はいでもいいえでもなく
そーこたえてみた。
日本語的に、うやむやな感じで
逃げたかったんだ。

そしたら
知らないわけないって。
ぴんときたんだってさ。
有名な話だって。
知らないひとはいないって。

どこがどー有名なのかはわからない。
事故そのものが知れわたっているのか
その後の訴訟等のことなのか
ドライバーのことなのか
それとも、わたし自身のことが
「あのガイドだったんだー事故って」みたいな。
そー広まっていることを言っているのか
そこはよくわからない。
確かに、わたしはあの業界歴が
決して短くはなく。
毎日毎日、あちこちの観光地や
あちこちの定宿や
あちこちのドライブインで会うのだから
わたしの名前を知らなくとも
わたしのことを知っているひとは
けっこーいるらしいとゆうことは
ひとづてにきいているけれども。

とにかく。
それから
あれやこれやと
いろいろとインタビューされた。
だから、仕方がない。
された質問にこたえた。
そして
こたえているうちに
なんともいえない気分になった。

そのドライバーの心はわからない。
軽く心配してくれているのか
大変だったなーと思ってくれているのか
ただ流れでなにげにきいてきたのか。
それとも
わたしをひいたドライバー側のひとで
いろいろさぐっているのか。
単なる興味本位なのか。
それは、なにもわからない。

どうしていいのか
ちょっとわからなくなった。
精一杯わたしなりに
頑張ってとゆうか無理をして
その副業をこなしてるのだ。
でも、それがそのままのわたしだと
思われたらたまらない。
つまり
「もー元気なんじゃん」
「つか、歩けんじゃん」
みたいな。

確かに、わたしは元気。
けれど、痛みは常にあるし
いつも植皮部分に気を使い
ひとつひとつの動作を
考えながらおこない
ただ立っているだけでも
普通にできるわけでなく。
バスでちょっと立つ時も
普通に何も考えないで
自然に立っているわけじゃない。
ステップを降りる時も
車内の通路を通る時も
前とは違う。
全然違うのだ。

けれど
それは目には入らない。
言わないとわからない。
口にしないと伝わらない。
わかるわけがないのだ。
見える部分に傷があるわけでもない。
足の形が変形しているのも
みえているわけでもない。
植皮した部分のパッチワークな足が
視界に入るわけでもない。
神経も骨も筋肉も
彼の目には入らない。

いや。
べつに、それでもいい。
べつにいーよ。
それも本音。

けれど。
このわたしの
正直、しんどいことの多いことが
伝わらないのも
なにか、しっくりこなくて。
そしてそれを
おそらく
わたしをひいたドライバーに
親しくしているのだから
伝えるであろう現実を思うと
非情に納得がいかなくて。
なんだか気分がよくなくて。
そう、これも本音。

でもそれを
「あーですこーです」と
「こーみえてもあーでこーで」と
いちいち伝えるのも
どーかと思う話だよね。

疲れた。
とても、疲れた。
心が疲れた。
こうゆうのを
複雑とゆうのかなーなんて。

心が元気な時だと
「べつにいーじゃん。けっ」と思えることも
心が疲れてしまうと
「はあ。なんだかな...」と。
同じ事柄に向き合っているのに
まったく違う自分がいる。

久しぶりに
あの時のいろいろが交差して
なんともいえない気分になった。
けれど。
わたしをちゃんと
みてくれているひともいる。
口にださなくとも
思ってくれるひとがいる。
寒い日には「だいじょうぶ?」って
階段のくだりで「いける?」って
重たい荷物を「もつよ」って
すべる道では「気をつけて」って。
ありがたいことに
いちいち口にしなくても
気遣ってくれるひとがいる。
わたしの心の中の声を
ききとってくれるひとがいる。

この日。
今まで以上に
わたしを理解してくれているひとに
感謝した。
知ってくれていることのありがたさを
今まで以上に痛感した。
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by akiaki2u | 2009-12-23 12:04 | その他

大切に

「それ以上よくなるわけないっしょー」

そう言われた。
先週の病院で
親しくしてる看護士さんに
さっくり言われた。

普通にこの言葉だけ綴ると
「つめてえーな」と思うかな。
でも、違うんだな。
とっても
優しい言葉だったし
とっても
楽になる言葉だった。
わたしには。

わたしは今でも
まだ、どこかよくなるんじゃないか。
まだ、なにか方法があるんじゃないか。
そう、思ってる。
そして
「そー思わないとやってらんねー」
そうとも思ってる。
これ、本音。

けれど
「ここまでになっただけで満足」
それも本音。
そう、どっちも本音。

今の時代
医学の常識はどんどん変わるし
進歩だってすごい。
だから
「もう治療のすべがない」と
打ち切られたわたしの足でも
もしかしたら。
もしかすると。
今後、なにかよい方向が
新しくみつかるんじゃないか。
その思いは
ずっとずっとあるだろう。

そして
もし、そうゆう日がきたら。
実験台でもなんでもいい。
すぐに手術に望む。
絶対。
1%でもよくなるなら
そこに賭けたい。
そう思う。

それを全部含めた意味で
「また入院するかもしんないじゃん」と
看護士さんに
言ったのね、先週。
看護士さんが
「わたしも移動になるかもなー」
そうゆうから
それは困ると思って。
その親しい看護士さんは
形成外科に長いので
あんだけ病棟のある病院だから
そろそろ院内で移動になるかもって
そーゆうから。

もしわたしが
いつかまた入院することがあったら
やっぱり、わたしの足を
最初からみてくれたひとがいないと
なにかと面倒くさいことが多い
多すぎる。
困るのよー
親分がいないとさ(笑)。

そしたら看護士親分が
「それ以上よくなるわけないっしょ」と
笑って言ったんだ。
そして
わたしも笑った。

つまり。
彼女の言いたかったことは
「あんた、しつこいね」でもなく
「あきらめな」でもなく
「なにいっちゃってんの」でもなく。
そんなんじゃない。

最初からずっと診てくれていた
あのひとの言いたかったのは
「よくぞ、ここまでになったよね」
「ホント、よくここまでになったね」
「よかったね」
そうゆう意味だ。
そう思ってくれているからこそ
出てきた言葉なのだ。

わかってる。
わたしもよーくわかってる。
ミラクルなのだ。
今わたしに左足がついていることが
信じられないことなのだ。
そのことをもしかしたら
彼女はわたし以上に
思っているのかもしれない。
看護士としての視点で
診てきてくれていたのだから。

「これ以上になるわきゃない」とゆう
その言葉をきいて
わたしは、すごく軽くなった。
たまに思う。
毎日いまでも
リハビリを繰り返す中で
「もお、やだ」。
そう思ってしまう。

よくなるためにするのじゃなくて
これ以上悪くならないために。
退化しないために。
この状態をキープするためのリハは
たまに、このうえなくキツイ。
目標がない。
上をみてゆけない。
わがままな感情なのは
わかっているんだけど
でも、時々
とってもいやになる。

先週のわたしは
その波が頂点に達していた。
それは、また下がっていくものだけれど
今回は、なかなか下がらなくて
他の問題も重なり
ちょっと重いものになっていた。

けれど。
「あ、そっか。そーだよね」
そお、素直にその言葉が
すこーんとわたしの中に
入ってきた。
そーじゃん。
そーだったじゃん。
そーなんじゃん。
バッカじゃない、わたし。
そー思えた。
だから、笑った。
そして、楽になった。

ありがたいね。
ありがたい。

足のことを
説明することは
全然イヤじゃない。
でもそれは
きかれた場合。
きかれて、こたえて、説明して。
それは、イヤじゃない。
とゆうか
むしろ、うれしいかもしれない。
うまく説明できないけれど。

でも、自分からわざわざ口火をきって
あれこれと説明するのは
好きじゃない。
なんだか、いやらしいとゆうか
自分で自分がうざったくなる。
押し売りしてる気分になる。
なんだか自分だけが
大変なことを抱えてますって
そー訴えてる気分になってくる。
だから、イヤだ。

なので時に
ひとりで悶々とすることがある。
考えたって
どーしょーもないのに
やっぱり、落ちるときがある。
そんな時に
わざわざ説明しなくても
足を理解してくれているひとに
さっくり答えをもらえた。
あああ。
わたし、やっぱり
いろいろなひとに
支えらて生きてるんだなー。

そして
この足によって
支えられてるわたしの身体。

支えてくれるものは
やっぱり大切にしないとね。
感謝しないとね。
うん。
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by akiaki2u | 2009-12-21 01:09 | その他

友達

友人が癌になった。
しかも、末期だ。

これをきいた時
あまりに現実味がなくて
あまりに実感がなくて。
びっくりしたし
悲しかったし
絶句したけど。
でも、泣けなかった。
そして
「またなの...?」と。
そお、思ってしまった。

形成には、癌の患者も多かった。
だから、親しくなったひとが
何人も逝ってしまった。
肺癌だった父親の闘病が
何年も続いていたので
そこで親しくなったひとも
逝ってしまった。
数年前に、祖母もいったし
母親の友人も逝った。

もお、いい加減にして欲しい
そう、思った。
いつかは誰しもいなくなる。
けれど、こんなに身近なひとが
何人もいなくなってしまうこと。
それには、ぶっちゃけうんざりだ。
いやなんだ。
もお、誰も逝ってなんか欲しくない。
逝った人達が1番しんどかったのは
ひゃくも承知。
けれど、わたしだってしんどい。
そこは、もお隠したくない。
隠せないよ。
だってさびしすぎる。
そお、思ってた。

そして。
こおも思う。
わたしが、無力だってこと。
そこが、悔しい。
悔しすぎるんだ。
しんどいひとを目の前にしても
わたしには、何もできない。
なにかできること。
それを模索するけれど
結局、わたしには
命を救えることなんて
できやしない。

苦しむひとをみても
しんどいひとを目の前にしても
わたしにはなんの力もない。
耐えているひとの気持ちを思うと
おしつぶされそうになる。
わたしが食べ物をおいしく感じること
疲れて眠ること。
申し訳なくてたまらなくなる。
しばらくは
そうゆう気持ちになりたくない。
そう、思っていた。

けれど。
友人が、もう1年もたない。
そう、宣告されたのだ。

まだ30代。
若い。
若すぎる。

確かに
ミラクルだってある。
ひとには
医者にもわからない
自然の力が宿ることがある。
余命だって
目安かもしれない。
そうとも思う。
だけど、現実的に考えて
彼の身体の中の状態をきくと
なんともいえない気持ちになる。

見舞いに行っていいのか
それとも距離をおいたほうがいいのか。
すごく考える。

見舞いにくるひとは
「よかった元気そうで」。
そう思うひとが多いと思う。
実際わたしが
ICUやHCUにいた時も
「今日切断か、明日切断か」。
そんな、まな板の上の鯉だった時も
「よかった。思ったより元気そうで」
そう言って帰るひとが
たくさんいた。

そして、それは
ある意味
非情につらかったのだ。

見舞いにきてくれること。
わざわざ足を運んでくれること。
心配してくれること。
思ってくれること。
そんなすべてが
とってもありがたい。
とても感謝してる。
本当に、そう思う。

けれど、逆に。
その反面
とっても悲しかったのだ。
しんどくて重かったのだ。
元気そうにするのだ。
大丈夫だってゆうのだ。
がんばるよって、ゆうのだ。
そうするしかないのだ。
そう言うしかないのだ。

「大丈夫じゃないんだ」
「元気なんてあるわけない」。
そういえるわけがない。
そう表現できるわけがない。
ありがとうって思うから
きてくれてありがとうって
心配してくれてありがとうって
そう思うから
「がんばるね」とゆうのだ。

そして
ひとりになった時に
せつなくなるんだ。
嬉しかった反面
ため息がでるんだ。

だから思った。
わたしが誰かを見舞う時には
ちゃんとそこを見極めないと、って。
ベッドにいるひとに
気遣いさせちゃいけないんだ。
まして、彼は命に関わることだ。
わたしとは違う。
もっともっと
想像もつかないくらいに
しんどい心のはずなんだ。

だから考えて
ちょっと距離をおくことにした。
彼が
最も親しくしていたひとが
頻繁に足を運べばいい。
その合間に
わたしもたまに顔を出そう。
それでいい。

末期癌だとわかって
1ヶ月くらいが過ぎた。
彼も、先を考えるようになったらしい。
これからの治療にむけて
方向を決めたらしい。
どうか。
今はただ
彼が、日々を
やわらかくすごせるように。
そして、その先に
治療の結果が出てくれることを
信じようと思う。

おやじぃー。
頼むよ。
まだ、連れて行かないで。
あっちの世界で
その方向でがんばってくれぃ。
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by akiaki2u | 2009-12-18 00:50 | その他

弱さ

「ホント強いよね」。
女子にも男子にも
そういわれることが多い。

自分で自分ことは
よくわからない。
確かに、弱くはないのかもだけど
逆境に立つと、強いのかもだけど
でもそれは、強くならないと
ダメだったからなんだと思う。

わたしのことだから
強くなるしかなかった。
それしか、方法がなかったんだ。
弱いわたしでいたら
先がなかった。
だから、必死に強くなった。
そうなんだと思う。

もしも。
誰かに頼れるのなら
正直、頼りたかったことも
たくさんあった。
全てを頼るわけじゃないけど
なんとゆうのかな。
よりどころとゆうか。
正直、欲しかった時も
たくさんあったよ。

だけど。
わたしが進んでゆく姿をみて
「わたしも頑張る」とゆってくれるひとが
周囲にいた。
わたしが必死になってる姿をみて
「わたしも頑張れる」とゆってくれたひとが
周囲にいた。
だから、頑張った。

もちろん、それだけじゃないけど
自分の素でもそうだったんだけど
自分なりに壁をこえて
すっきりとした気持ちで
必死になれている自分もいたんだけど
だけど。
時には、弱い弱いわたしが
顔をだすこともあったし
もう、どしていいかわからないわたしも
何度も何度も登場した。

けれど。
わたしなりに頑張ることが
いつのまにか、普通になった。
弱い自分にフタをした。
フタ、できてると思ってた。

でもね。
そんな自分に、正直
時々疲れてた。
強いわたしが加速していく中に
弱いわたしもいたんだよね。
でも、わたしはだいじょうぶ。
そう思うことで、スルーしてた。
本当は、だいじょうぶなんかじゃないのに。

今の結果がどうこうじゃない。
今の足には満足してるし
これはもお、わたしの運命だと
そこは、きっちり受け止めてる。

けれど。
ここまでくる過程の中で
弱い自分をみないで殺してきたツケが
いつのまにか
溜まってしまっていたのかもしれない。

ひとりで泣いて
ひとりで解決した。
それは、あたりまえのことと思う。
わたしのことだもんね。
だけど、ひとりで泣きたくない時も
ひとりで解決したくない時も
本当は、時々あった。

だけど、そこにもフタをした。
だから、もう。
どこでどう、ひとに頼っていいのか
全然わからなくなってしまった。
そのうち、頼らなくなった。
いや、頼れなくなった。
それが、普通になった。

「強い」といわれて
淋しい時と、嬉しい時がある。
なにかを感じて認めてくれて
そのうえで「強い」と言われた時には
正直、嬉しい。
ああ、わかってくれてるんだなあ。
そう思えるから。

けど、表面とゆうか。
「ここで?」とゆう場面で
「強い」と言われると
とてつもなく淋しくなってしまう。
時には、悲しくなってしまう。
そっか。
そう思われてるのかなあ。
そう、思ってしまう。

強くなりたいって
ずっとそう思ってやってきた。
だけど、強いってなんだろう。
強いだけの人間なんて
いないよね。
弱さを、上手に表現したいです。
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by akiaki2u | 2009-04-08 00:10 | その他

自分

自分をコントロールすること。
自分の中にいる自分と
一生懸命話をすること。

入院中、いろいろなことがあった。
切断するかもってこと。
もお、自分の足で歩けないってこと。
手術がなかなかできなかったこと。
退院のメドが全然たたなかったこと。
会社のこと。
運転手のこと。
身内を含めた人間関係のこと。

投げ出したいことも
ぶっちゃけ、何度もあった。
もう、無理だ。
そう思ったこともあった。

だけど。
そこから逃げてしまったら
わたしはそれこそ
どうしたらいいんだろう。
わたしのことから
わたしが逃げてしまったら
それこそ、終わりなんだ。

だから。
考えるしかなかった。
どうにもならないことを考えないように。
不安や不確かなことを
考えないように。
そして、今の自分。
明日の自分。
わたしはどうしたらよいのか
どうやっていけばよいのか
どう考えたら、先に進めるのか。

自分のことは、もしかしたら
一番わからないのかもしれない。
ひとのことは見えるから。
ひとのことはきけるから。
だけど、自分のことって
わたしはどうしたのかって
わたしはどうゆう人間なのかって
それ、一番難しいなあ。
そう思った。

そして、自分をコントロールすること。
自分を誘導することをおぼえた。
脳みそに、その回路を作ったんだ。

その回路は退院したあとも
そして、今も。
わたしの中に残ってる。
そして、それで助かったこと。
たくさんあったよ。

けど。
気付いたんだ。
対、自分。
わたしだけのことで
わたし自身のことなら
それでいい。
それがいい。
だけど、対ひと。
その時には、それは役立たない。
わたしが自分をコントロールしたって
相手がいる場合、それは無意味。

わたしはこうやってきたから
このままでいいと思ってた。
これでいいのだと思ってた。
ちょっとおごっていたかな、わたし。

だから、おぼえた。
わたしのことは、今までどうりでいいけれど
わたしひとりじゃない時には
わたしの結論は、わたしだけのものなんだって。

すごく抽象的だけど(笑)。

だから。
自分だけのことの時には
思いっきり暴走しよう(笑)。

とゆうか。
ひとつ、違う意味の優しさとゆうものを
おぼえたきがします。
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by akiaki2u | 2009-03-13 17:17 | その他

このごろ

こっち。
また、随分と放置してたね(笑)。
でも、ここはそうゆう場なのでいっか。
そうゆう感じ。

実は近頃。
非常に、調子が悪い。
なにがって、ここに綴るとゆうことは
もちろん、体調じゃなくて。

足の後遺症はしゃーないとして
その他の部分へのもろもろ。
まあ、負担がかかっているので
それも覚悟はしてたけど
ちょっと自分でも
「このままだといかん」と
はっきりと自覚しているとゆうところ。

かといって。
リハビリに通えばいいとゆう問題でもなく
とはいえ、はてさてどうしたらよいものか。
親しくしている、理学療法士のオギーに
ときおり、相談はしているのものの
やはり、明確なものはなく。
今のうちからいろいろと対処しておかないと
今後、やべえ~よなあ。
そう思うと、ちょっと凹むのが
正直な感情。

身体障害者の恩恵も
不正にあれやこれやとやるヤカラがいるため
制度がどんどん厳しくなってる。
しかも、実際に手帳を持っている
わたしたちの知らないうちに。

「え。いつのまに?」みたいな。

余計な書類はいらねえ。
そうゆうことを、明確に知らせて欲しい。
とゆうか、身体障害者の等級も
ある意味、資格でしょ?
資格保持しゃには、きっちり
知らせるものじゃないのかしら。
ふん。

特に。
どこにでも駐車できるってやつ。
もお、わたしはダメになっちゃった。
昨年からだって。
全然知らなかったよ。

でも。
わたしはまだいいのよ。
しんどいこともあるけれど
自分のことは、自分できるから。
階段を降りるのもしんどいけどできるし
重たい荷物もしんどいけど、もてる。
雪道も恐いけど、なんとかなってる。
走れないけど、急ぎ足はなんとか。
車の運転だって、左足の障害だから
オートマだったら問題ない。

だけど。
足に限らず。
そのひとを実際にみて審査してないのだから
ばっさり、さっくり。
等級だけできっていいのかな。
よくねえだろ。
特別に...ってことだって
あって当然でしょ。

たとえ、左足が不自由ですといっても。
ひとりひとり、全部違う不自由さだってば。
痛みも、出来ないことも、できることも。
みんな、違うんだってば。

とゆうか。
不正した奴らが許せない。
とゆうか。
不正したヤツがいたから
もっと厳しくしまーすとゆう
単純な思考回路も、全然納得いかない。
そもそも、その不正を見破れず。
そもそも、受給したひとも悪いけど
それを、適当に許可したところに
腐敗してる部分があるんじゃないの。

わたしなんかより全然。
もっともっと困惑しているひと
ぜったいに、たくさんいると思う。
納得いかねえ。
許せねえ。

区役所だの市役所だのに
あーだこーだと訴えはみたけれど
もちろん、にっちもさっちもいかない。
頭にはきてたけれど
ガーっとゆくと、こっちの考えが
伝わらなくなっちゃうので
きわめて冷静に、落ち着いて話しても
さっぱり、意味不明な会話にしかならない。
いや、そもそも。
そうゆうことを言う場所がない。
その担当のひとに言ったところで
「うえが決めたんで~」
みたいな。
それもそれで、わからないわけじゃないけど。
じゃ、どこに訴えたらいいのだ。
ないのよ、どこも。

言葉があまりに伝わらなくて。
「あなた、げえじんですか」
そう、ききたくなった。

って。
話はそれちゃったけれど。
う~ん。
まずは、暖かくなったら
今まで以上に、まずは足。
鍛えることにします。
ちょっと、気持ちをイチから
しっかりやる必要があるなあ。
うむ。
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by akiaki2u | 2009-03-04 12:57 | その他

今だから

今だからいえることがある。

先日、あの当時お世話になった
看護士さんふたりと、ごはんを食べた。
ま、おふたりさんは「呑み」専だったけど(笑)。

ひとりは、この道30年の大ベテラン。
臨床にこだわり、病棟看護で終わりたい、と。
ひとりは、私より3つほど上。
臨床に戻りたいけれど、VIP部署に所属だ。

そんなふたりと、こうして会うのは2度目。
いろいろと話をしたけれど
今だから...そんな話もたくさんした。

ふたりとも、私の担当ナースじゃなかった。
なのに、とても親しくなった。
きっと、波長だったのだろうね。
お互いに、察知したのだと思う。

「あんたが形成にあがってきた時。
ナース皆、あんたが気になって
仕方がなかったんだよ」

「なんで~?」

つまり。
それほどの傷だったとゆうことだった。
滅多にない、むしろ、例のないような
状態だったらしい。
切断の可能性も大きい。
本人には、いつそれを伝えようか。
伝えないほうがよいものなのか。
きいたらどうなるのだろう。

そんなことだったらしい。

「全部、自分で処理してたよね」
そう言われた。

そうかもしれない。
私の中で、何かをナースに相談したことは
記憶にないに等しい。
決断したことは口にした気がするけれど。

「でもさ~あたし、何回も泣いたよ(笑)?」
そう言ったら。

「勝手にひとりで泣いてただけでしょ(笑)。
ひとりで泣いて
ひとりで処理してたでしょ」

そうか。
それも、ひとりで処理になるんだ~。

「根性あったよね~」
そうとも言われたけど。

そうなのかなあ。
確かに、ないことはないかもだけど。
でも、そんな気質のお陰で
女子ウケはいいけど
男子ウケは、最終的に悪いさ~(笑)。

で、びっくりしたのが。
「あんた、癒しだったよ」って言葉。

え。
私が癒し?
いまだかつて、言われたことないけど。
癒し系だなんて(笑)。

いやいや、話ときくと。
癒し系とは、意味がすこし違かったみたい(笑)。
要は。
色々な人間模様が渦巻く病棟。
人間の素がでる入院生活。
そんな中で、私とゆう患者は
とても優秀だったみたい(笑)。
色々な患者さん、いるからなあ。

私の考えが立派なわけでも
正しいわけでも、自慢するわけでもない。
ただ。
看護士さんだって、人間なのだ。
「やってもらう」とゆうのが
あたりまえではないと思う。
全てをぶつけても、よい相手でもないと思う。
ギブ&テイクだと思うのだ。

気持ちよく対応してもらいたいのなら
こちらも、気持ちよく対応しなきゃいけないと
私は、思うのです。

確かに。
ありえないミスをおかしたり
機嫌を仕事に出してみたり
おかしたことを言ったりした時には
はっきり言うべき。

だけど、何もかも。
あれもこれも、全て押し付けるのは
それは違うと思う。
ま、イラっとする看護士が、中にはいるのも
それは事実なのですが(笑)。

ナースって。
究極のサービス業だと、私には思える。
本当に、大変だと思う。

ところで。
私も、今だから言えるけど。
とゆうか、言ったけど。

あいつにあいつにあいつにあいつ。
ホント、嫌な患者だったわ~(笑)。
もう、時効だからさ~。
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by akiaki2u | 2009-01-14 18:35 | その他



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