バスにひかれた私のBLOG

カテゴリ:入院生活( 15 )

学んだこと

まずはひとの気持ち。

これは
わたしの永遠のテーマ。
自分のことより
ひとのことを
思いやることのできる心。

わたしは汚いところを
たくさんもっている人間で
醜いことも
ずるいことも考える。
間違いもおかし
失敗もある。

「でも、それが人間さ」

そう言ってくれるひともいるし
わたし自身もまた
「そうだよね」とも
ぶっちゃけ思う。

自分がしんどいと
自分中心に時もある。
自分がキツイと
他人を思えなくなる時もある。
自分が疲れていると
周りがみえなくなる時もある。
どうやっても
自分のことしか
自分の悩みしか
考えられない時がある。

だけど。
そんな時でも
自分のことよりも
自分以外を思いやる心をもつことが
わたしのいまの目標であり
きっと
永遠の目標になるのだと思う。

ひとはみんな
考えも
感情も
育ってきた環境も
なにもかもが違う。
だから
わたしが「よかれ」と思っても
あるひとには
「よくない」ことだってある。
でもそれが
また違うひとには
「よいこと」になることもある。

しんどい時に
「そうだよね」と同意するのが優しさなのか
「そっか」と一緒に泣くのが優しさなのか
「バカゆうな」と叱咤激励するのが優しさなのか
「じゃ、どーする」と先をみるのが優しさなのか
それとも
なにも言わないで
ただただ話をきくのが
優しさになるのか。

ひとそれぞれで
みんな違うのだ。

わたしは「こう」だけど
みんなが「こう」とは限らない。
自分の気持ちや感覚を
ひとにあてはめてはいけないのだ。

入院中に学んだことだ。
[PR]
by akiaki2u | 2009-12-27 01:18 | 入院生活

支え

長い入院生活の中で
たくさんのひとが見舞いにきてくれた。

「あげたまちゃんは友達多いね~」と
言われたけれど~。
はてさて。
私に、こんなに友人知人がいたとは
自分でも、少々驚いた。

もちろん。
私が直接連絡したのは、数人。
ひとづてにきいて、足を運んでくれたひともいた。
ありがたい。
とても、ありがたいことだ。

だけど...。

時々、正直とても疲れた。
切断か否かとゆう時や
植皮後の動けない時。
せっかくきてくれたのだから
やはり、元気そうにするわけで。
今の現状を説明する気力もなかったりで。
もちろん、気が紛れることもあるんだけど
失礼ながら、すごく疲れた時があったのも事実。

友人だと思っていたひとが
実は「こんなひとだったのか...」と思ってしまったり
逆に、実はこにひとってこうゆうひとだったのだ。
などと、私の相手に対する感情が
かなり動いたり変わったりしたものだ。

そんな中。
時に、励ましがしんどかった。

「若いから大丈夫」
「リハビリすれば元気になるって」
「前向きさ」
などなど。

若いとか、あんま関係ないし。
リハビリ以前の問題だし。
前向きになろうと努力してるけど。

言われんくてもわかってるって。

そう、イラっとしたりもした。
確かに、上半身も右足も元気だし。
そこまで重いものだとは思ってなかったのだろうけど
でも、傷ついたりもした。

そんな時。
私の支えは、フィリピンからのメールや手紙だった。
書いてあることの中に
「頑張れ」とか
「前向きに」とか
「大丈夫」とか。
そんなことは、ひとつも綴ってない。

ただかかれているのは
「私達は、あげたまを信じてるから」
それだけ。

そう。
たったそれだけだったんだけれど
私には、涙が出るほど嬉しかった。
いや、嬉しいじゃないかな。
癒されたとゆうか、軽くなった。

私なりに頑張ってた。
私なりに前向きにやっていた。
だけど、これ以上頑張れない。
これ以上前向きにって、どうやったらいいんだろう。

そんな状態の時。
ただ「今のままでいいんだよ」。
そういわれているようで。
「自分を信じて、今はやればいいんだよ」
そう、私にはきこえたんだ。

ああ、そうか。
これでいいんだ。
このままやっていっていいんだ。
それが、ベストなんだ。
間違ってないんだ。

涙がでてきた。
そして、次に向かっていけた。

だから私は、恩返しするのだ。
これからも、ずっと。
[PR]
by akiaki2u | 2009-01-15 19:36 | 入院生活

病院でクリスマス

目がさめたら
4個のケーキが並んでた。

数年前のクリスマスイヴ。
私は、エキスパンダーの摘出と
植皮部分を覆う手術を受けた。

午後からの手術で
病室で覚醒したのは
確か20時過ぎだったと思う。

酸素マスクがうざくて目が覚めた。
視界の中に、母親がいて
その横の棚に、ケーキが並んでたのだ。

「みんなが、あげたまちゃんのために
食べないでとっておいてくれたよ」
看護士さんが言った。

クリスマスだから。
夕食にケーキが出たのだ。
こんな日だから
6人のうち、2人は外泊でいない。
残りのみんなが
手術明けの私のために
ケーキを食べないでいてくれたのだ。

嬉しかった。
涙がでそうだった。

聴診器で、胃腸の動きを確認した看護士さんが
「食べていいよ」とゴーサインをした。
お腹がすいているのかいないのか。
そんなのはわからない。
そんなことはでどーでもいい。

私は、ただただ無心にケーキを食べた。
術後すぐは、テンションも高い。
何を喋ったのかはよくおぼえてない。
だけど、おいしいおいしいと
ひたすら連呼したのはおぼえてる。

本当は、きっとさほどおいしくないはずだ。
だって、病院食のケーキだもん。
だけど、味なんてどーでもいい。
私には、とてもおいしかったのだ。

そして。
食べ終わった私は
またすぐに眠った。

今でも、あの時のケーキの味は思い出せない。
だけど、あの光景はずっと忘れない。
[PR]
by akiaki2u | 2008-12-24 16:06 | 入院生活

渡り廊下

病院の渡り廊下。
2階のそこからは、広いロビーが見渡せる。

平日は、早朝から、たくさんの外来患者さんが。
そして。土日は、1日中、ひっそりとしてる。

平日。
「私もいつか、あんなふうに外来でくるのかな」
「こられる日がくるのだろうか」
なんてことを思いながら
渡り廊下に車椅子をとめて
上から人々を見下ろしていた。

土日。
あるひとが病院の私を訪ねてくれるとわかっている日。
私は渡り廊下で、ずっとそのひとを待っていた。

だけど。
ある日を境に、待ってもこなくなった。
そして。
もうこないとわかっていても
もしかしたらと、時々そこで、待っている自分がいた。
とはいえ、それも最初の頃だけだけど(笑)。

でも今。
私はその渡り廊下を、外来患者として歩いてる。
スタスタとはいかないけれど
杖もつかず、さほどびっこもひかず。

ロビーの玄関から入って
ロビーの玄関から出てゆくのだ。
そして、病院の外に出てゆくのだ。
あの廊下で、ふとそう思った。

そして。
もしかしたら。
今、入院しているひとも
あの時の私と同じように
この渡り廊下で、同じ思いを抱いているのかもしれない。
そんな人達が、少しでも少なくなるといい。

あ。そうそう。
この渡り廊下で、車椅子競争もしたけどね(笑)。
[PR]
by akiaki2u | 2008-12-17 20:34 | 入院生活

恐怖の検査1

f0148699_17105458.jpg


滅多に風邪をひかない。
内蔵も丈夫(おそらく)。
偏頭痛もない。
しいていえば、超頑固な便秘くらい。

そんな私なもので、内科的なものには弱い。
すぐにびびる。
病院なんて、とんでもない。
胃カメラとか、考えられない。

けど、足の場合は別。
骨も肉も筋も腱も、みあきた。
びびることもない。
慣れとゆうのは、恐ろしい。

手術だって、9回もすれば慣れっこだ。
頑張るのは私じゃない。
先生、おねがい頑張って。そうゆう感じ。

けれど。
あれは、地獄だった。
私にとっては、まさに、まな板の上の鯉状態。
私は魚じゃないよ(泣)。

そう、それは造影検査でのこと。

前日昼までは、太腿の付け根の動脈から
管を入れてゆくといわれてた。
けれど、夕方になり。
「腕から管を入れることになったんだって」と
看護士さんに告げられた。

へえ。

そう思っただけ。
なにせ、造影検査がどうゆうものなのか
はてさて。私には想像がつかない。
部屋の皮膚癌のおばちゃん達は
「全然軽いものよ」そう言ってた。

当日。

造影検査も、軽い手術に入るらしいので
手術着に着替え、頭にキャップ。
ベットで、1階の検査室まで運ばれた。

「じゃ、1時間後くらいにね~」。

そう言って、看護士さんと別れた。
そう、1時間くらいもあれば、終わるといわれてた。
検査後に、少し休憩する時間も含めて...だ。

でも、私の検査が終わったのは
1時間をはるかにこえ。
お迎えにきた看護士さんが
「どうしたのー!?」と、驚くほどに
私はやつれまくっていた。

もう2度と、造影検査なんてしたくない。
あんた達のせいで、私には大きなトラウマになったわい。
顔には、まだ軽く血がついていた。

結果を先にゆうと。
私の予想だけれども、私の身体は
新人さんの練習台になったらしい。

そもそも、太腿から腕に変わった時点で
何かがおかしかったのだ。
足の検査なのに。
足の血管の流れをみるのに
なんで、肘の動脈から肩を通し、足の先のほーまで
管を通さねばいけないのだ。

研修生の実験台。
おそらく、そうだ。
いや、間違いない。

検査後の私の腕は、とんでもないことになった。
普通の手術の後のほーが、どれだけ楽か。
そんな、造影検査の恐怖だったのだ。
[PR]
by akiaki2u | 2008-09-18 17:26 | 入院生活

喫煙所

f0148699_0175856.jpg


夜な夜な、喫煙所へ行った。

喫煙所にいると、不思議と心地よかった。
日中の喫煙所は、煙が充満してくさいけど
深夜の喫煙所はそうでもない。
私の通った、2階の喫煙所の場合は。

私のいた病棟は10階。
私のおきまりの喫煙所は2階。

10階にも喫煙所はあったけれど
ひとが多すぎて面倒だった。
病院や、医者や看護士、そして同室患者。
これらへの愚痴をきかされるのが嫌だった。
怪我や病気自慢。
これをきかされるのも嫌だった。

深夜に車椅子で、10階の喫煙所の前を通過。
ガラス張りの向こうから、いくつもの視線がささる。
「ほら、あいつ。またわざわざ2階へ行くぜ」みたいな。
きこえちゃいないけど、そんな感じ、きっと。
ケっ。ほっといてよ(笑)。

2階には、病棟はない。
日中、外来患者が使う場所だ。
なので夜は、ポツリポツリとひとがくるだけ。
深夜でも明るい喫煙所。
なんだかそこにいると、少しだけ自由になった気がした。

事故にあった翌日。
もう絶対に、タバコはやめようと決めた。
とゆうか、恐ろしくて恐ろしくて。
吸ってしまったら、足がなくなると思った。

とゆうか。
それ以前に、ベットから動けないのだから
吸いになんていけないけど。

それから3ヶ月。
もう私は、すっかり脱喫煙だと思えた。
深夜に居場所を求めて喫煙所には行ってたけれど
吸いたいなんて、これぽっちも思わなかった。

けれど。
同じ時期に入院していた人達が
ひとり減り、ふたり減り。
気づけば、残っていたのは私だけになってしまった。

先がみえない。
いくら長い入院でも、「ここまでだよ」と
時期がわかっているのなら
少しは違っていた気もする。
だけど、あの時の私は、先がまるでみえなかった。

まだ何ヶ月もいるのだろう。
それも、いつまでなのだろう。
私より重症だと思っていた人達が
みんないなくなってしまった。
もしかしたら、私が1番重症だったのかな。
いや、そうだったみたい。

なんともえいないむなしさ。
なんともいえないせつなさ。
みんな、自分の生活に戻っていった。
元の世界へ帰っていった。
けれど私は、いまだここにいる。
抜け出せないでいるのだ。

そんな中で、ついに私は、タバコに逃げてしまった。
薬のように、吸っている間だけは
何も考えなくていい。
本当は、そんなのただの勘違いなんだけれど
でも、あの時は、タバコだけが心地よかったのだ。

そして、それから私はいつのまにか
2階の喫煙所の主になっていた(笑)。
見回りの警備のおじさんも
私がいないと、捜すくらいになっていた。

確かに喫煙はよくない。
自分の父親が肺癌で逝ったのだ。
よくわかってる。
だけど、あの時だけは
喫煙に逃げた私だけど
喫煙に助けられた面もあったのだ。

でも、今。
どこの病院も禁煙じゃん。
私がお得意だったあの2階の喫煙所も
すっかり物置にかわってる。

今度入院したら、どーしよ(笑)。
[PR]
by akiaki2u | 2008-09-12 00:43 | 入院生活

復活の日その3

f0148699_10383327.jpg



「オギー。これ、きくような気がする」
「じゃ、やってみようか」
「オギー。こんな動きはどうかな」
「じゃ、こうゆう感じでやってみよう」

動かない足。
感覚のない足。
動かないといわれた足。

何がどうどこにきくかなんてわからない。
それ以前に、それが意味のあるリハビリなのかさえも
わからない。
けれど、私の内部のどこかが反応した時の申告に
オギーは反論しなかった。
身体のしくみ、筋肉や筋や腱の動きを考えて
何かしらの指導をしてくれた。

かたくなった膝を動かす時、毎回吐き気がした。
なまりのように重たい足を、太腿やお尻の筋肉で持ち上げる。
とても難しかった。
だけど、リハビリ室にいる時は、私が私でいられた。

結果はどうなるかはわからない。
いや、むしろ良い方向にゆく可能性なんて殆どない。
だけど、この部屋にいる時だけは、前に進めている気がした。
何かに向かっている自分がいるだけで
今までの毎日とは、確実に違っていたんだ。

いつしか、私とオギーの間には
患者と医学療法士とゆう境がなくなっていた。
頑張ってくれているオギーの為にも
私は、絶対に結果をだしたかった。
私が私に、そしてオギーに。

エレベーターに乗っている間。
数分だったのか、数十秒だったのか。
私にとっては、長い長い間だった。
早く、早く知らせたい。
2階に着いて扉が開いた瞬間。
私は、これ以上ないとゆうくらいにダッシュした。
ゆっくり歩いている人達が多い廊下を
「どいて!!」と声を出しながらダッシュした。

そして、つきあたりを曲がり、いつものリハビリ室の入口。
さっき。ほんの数時間前に、ここを出た時には
こんな気持ちでここに戻ってくるなんて
1ミリも思っていなかった。

なぜだかわからない。
でも、この入口がみえたとたん
私はダッシュできなくなった。
深呼吸して、息をのんで、そしてゆっくり進んだ。
いつもの空間なのに、まるで違う眺めだった。

オギーは、違う患者さんの指導をしていた。
私がいることに気がついた助手さんが
「あれ。あげたまちゃん、どうしたー?」と声をかけてくれたけど
私はそれに応えることができない。
ただ黙って、オギーが気づくのを待つしか出来ない。

助手さんが「先生。あげたまちゃんがきてますよ」と
大きい声をあげてくれた。
オギーが「あれー。なんかあったのー?」と言いながら
私のほうへ歩いてきた。

もうダメだった。
涙が出てくるのはこらえたけれど、それだけでいっぱいいっぱい。
その私の顔をみて、オギーの表情がくもり
不安そうな顔になってしまった。
違う。オギー、違うんだよ。

「オギーあのね...」
「どうしたの!?」
「足...足首がね...」
「なにかあった!?」
「あのね..........動いた...」

一瞬、何が起こったのかわからない表情になったオギー。
その後、私以上に泣いたオギーがそこにいた。

気づけば、助手さんも泣いていた。
事情を知ったほかの患者さんが、拍手してくれた。

私は、本当に幸せ者だと思う。
私の為に、泣いてくれるひとがいるのだ。
私の為に、一生懸命になってくれたひとがいるのだ。
私に、気持ちをくれたひとがいるのだ。
これ以上、何かを望んだらバチがあたる。

一緒に闘ってくれたひとがオギーじゃなかったら。
担当医師があの先生じゃなかったら。
看護士さん達があんなんじゃなかったら。
なにかひとつでも歯車が狂っていたら
今の私はない。

この先、大変なことはたくさんあるかもしれないけれど
ここに結果を出せたこと。
何かに無心になることが無駄じゃないってこと。
ひとから気持ちをもらったこと。
私の為に泣いてくれたこと。

それがあるから、きっと私は大丈夫。
この日の全て。
私は一生、忘れない。
[PR]
by akiaki2u | 2008-06-27 11:10 | 入院生活

復活の日その2

f0148699_214869.jpg


ほんの少し前。

私は、装具をつけて自分の足で進んだ。
その姿は、かつての。
そう、数ヶ月前の私とは、まるで違う姿。
けれど、確かに前へ進むことができた。

この時。
正直、ある程度満足している私がいた。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
自分なりに頑張った結果
ここまでこれたとゆうことが
とてつもなく嬉しかった。
もう、こんな嬉しいことなんて
きっとないんじゃないか。そう思ってた。

だけど。

病室で、ひとしきり泣いた私は
そばにあった松葉杖を手にとった。

オギーだ。
このことを1番先に告げなくてはいけないひと。
それはオギー。

「どこにいくの、あげたまちゃん!!」
「リハビリ室!!」
気づけば私は、廊下を松葉杖で猛ダッシュしていた。
本当は、車椅子で行ったほうが早かったと思う。
けれど、私は私だけの力で
これをオギーに伝えに行きたかった。

私のいた病室は10階。
エレベーターのボタンを押した。
理学療法室は2階。

なかなかこないエレベーター。
待っている時間が、普段の倍に思えた。
もしできるのならば。
階段をいっきに駆け下りたい。
そして、1分でも。いや、1秒でも早く
この事実をオギーに伝えたい。
伝えなくてはいけないんだ。

あれは。
私の足が切断を免れた時。
そして、2度と自分の足で歩けないと言われた日。
オギーが病室へやってきた。

どうしてもリハビリがしたいとゆう私の願いを
医師は受け入れてくれた。
動かせる部分だけでいい。
どうか、私を前に進ませて欲しい。
結果は、今はどうでもいい。
やれることをやらせて欲しい。
その私の願いを、主治医は容認してくれた。
他の先生の反対を押し切って。

そして。
オギーがやってきた。
私とオギーの、初めての出会い。

「あげたまさん。先生からきいているんですよね」
「はい、きいてます」
「どうきいてます?」
「自分の力では歩けないと言われました」
「そうですか...。そこは受け止められているんですよね?」
「はい。すごく受け止めています。でも、絶対に歩きます」
「あの。歩けないと言われてもですか?」
「はい。そこはわかってますけど、まだ私は何もやっていないので」

私は、できるだけ手短に。
できるだけ的確に、自分の考えを伝えた。
もう歩けないのは本当にわかってる。
だけど、歩きたい。
絶対に歩いてみせる。
今はそのことだけを考えて、やっていきたい。
そう伝えた。

そして、オギーはそれを理解してくれた。
もちろん彼女も、歩けないだろうとゆう事実は知っているし
医学的にも「歩けないだろう」と思っていた。

だけど、私と話しをしているうちに。
「このひとだったら歩いてしまうかもしれない」
「このひとだったら歩くんじゃないか」
そして最後には。
「いや、私が歩かせてみせる」
そう思ってくれたんだ。

それから。
私オギーの日々が始まった。
[PR]
by akiaki2u | 2008-06-25 03:49 | 入院生活

復活の日

f0148699_12555562.jpg


絶対。
私は絶対、あの日のことを忘れない。
そして、忘れちゃいけない。
ある意味、あれが私のスタートでもあったのだから。

事故にあって1番強く思ったこと。
それは、大きなものを失ってしまった私ではなく
新しくスタートした私だとゆうことだ。

もう、健康な足は戻ってはこない。
過去を振り返るのはやめよう。
だけど、それまでの私があるから今の私がある。
だから、違うスタート地点に立ったのだと思えばいい。
そう、考えた。
違う足を手にいれたんだ。
人生の道を踏み外したのではなくて
新しい道ができたのだ。
そう思うことにした。

正しいのかどうかなんてわからない。
けれど、それが私の出した答えだった。
そして、その答えに結びつく、大きな大きな出来事だった。

あれは。
まだ、1日に1時間だけ。
リハビリをのぞき、1時間だけベットを降りてよい規制があった頃。
午後の検温で、看護士さんが病室へやってきた。

窓際のベットにいた私のところへは
いつも看護士さんが、最後にまわってきた。
あの日の看護士さんはくどうちゃんで、私の担当ナース。
珍しく時間に余裕があったようで、あーでもないこーでもない。
たわいもない話をしてた。

で、くどうちゃんが。
「ねえ。あげたまちゃんさ、運転はどうする?」そうきいてきた。
「もちろんするよー!!」。
私の不自由は足は、ラッキーなことに左足。
車はオートマだから、運転にはさほど問題はないのだ。

「じゃ~さ~左足はどうやって運転する~?」と、くどうちゃん。
つまり、運転に問題はないけれど。
でも、足首が90度に曲がっていないとか
うっ血するとか、だるいとか、むくむとか。
様々な問題があるけど、どんな体勢で運転するかってことだ。

「う~ん...こんな感じかな~」
そうやって、私はベットの脇にすわり
両足を床にむけて、だらんと下げた。

と、その時。

一瞬、呼吸がとまったような感覚に陥った。
足をさげたその瞬間、なんだか冷たいものが
足にスーっと流れたような。
いや、実際そんなことがあるわけはないんだけど
なんとゆうか。血管の中を、氷水が流れていったような。
どこかが軽くなったような。そんな感覚が走った。

と、同時に。

私の中に、「もしかしたら」とゆう感情がわいた。
もしかしてもしかしてもしかして。
いや、違う。あるわけない。そんなこと、絶対にあるわけがない。
けど、だけど。

多分その時間は数秒で、でも、その短い間に
いっきに色々なことを考えた。
その様子をみて、くどうちゃんが「どうしたの!?あげたまちゃん!?」と。

どうしよう。口にだすのがこわい。
もし、間違いだったら。
でも、リアルだったら。
どうしよう。くどうちゃん、どうしよう。
けれど。大きく深呼吸をして、勇気をだして声にしてみた。

「くどうちゃん.......もしかしたら.......」
「もしかしたら!?」
「今.......私の足.......」

ここまで言って、心臓がバクバクしてきた。
そして、今度は息をのみこんで、言葉にした。

「くどうちゃん........私の足、動いたかもしれない........」

くどうちゃんは、何がなんだかわからない顔をしてた。
その会話が、みんなの耳にもきこえたみたいで
病室中が静まり返ってしまった。

「あげたまちゃん、ほんとう?もう1回やってみて!!動かしてみて!!」

くどうちゃんはそう言った。だけど、動かすって言われても
なにをどうしていいのか、さっぱりわからない。
だけど、ゆっくり。
そう、ゆっくり考えながらやってみた。
まともな右足の動きを真似しながら、ゆっくりやってみた。

まず、お尻に力を入れた。
そして、膝をおさえて。
太腿の裏の筋肉に力を入れて。
そーっとそーっと、足首にむかって力をいれてみた。
私の背中に、みんなの視線がささってた。

最後に、せーのと、心で掛け声をかけた。

そして。
私の目には、もう涙しかなかった。
くどうちゃんの顔が、涙で全然見えなくなった。
そして。やっと、声を出すことができた。

「動いたよね.............?」

その瞬間、くどうちゃんの叫び声とみんなの声が
病室中に響き渡った。
その声は、今でもずっと耳に残ってる。

けれど私は、声が出なかった。
その動きは、数ミリ。
角度にしたら、角度さえ入らない動きかもしれない。
だけど、確かに。
私の足首が、私の力で動いた。
動いたんだ。

現実は受け止めた。
受け止めたうえで、必死にやろうと決めた。
もし、やってもやってもダメなら
その時にまた、考えようと思った。
歩きたい。動きたい。
そのことだけを考えて、邪念を振り払った。
たとえ動かなかったとしても
「ここまでやったんだから」と思える自分。
そこに到達できるように、朝も昼も夜も夜中も。

そして、そんな私に。
先生も、看護士さんも、リハビリも。
みんながみんな、力をかしてくれたんだ。

ダメかもしれないと、何度も何度も思った。
足が残っただけでもいいと思ってた。
だけどやっぱり、時々、いいようのない感情もあった。

でも今。
私の足は、間違いなく動いた。
もう98%ダメだと言われた足が。
その足が、動いたんだ。

みんなが喜んでくれるそばで
私はベットに埋もれて泣いた。
枕を抱いて、そこに顔を埋めて泣いた。

みんなの前では、絶対に泣かないと決めていた。
泣いても、周りは困るだけ。
はれものに触れるようにされるだけ。
そこに、何も答えなくて
解決の糸口はない。

だから、泣きたい時には
「泣いてくる!!」と、宣言をして、霊安室ロビーに行った。
誰もこないからだ。
そこで、声をあげて泣いた。
目が大きく腫れるまで泣いた。
そうやって、処理したんだ。

だけど、今日は違う。
悲しい涙や、怒りの涙はみせないと誓ったけれど
嬉しい涙はいいよね。
みせたっていいよね。
隠すことなんて、ないよね。

ありがとう。
みんなに、ありがとう。
私に関わってくれたひとみんなに
心からありがとうと思った。
私だけの力では、ここにはこられなかったと思う。

そして。
私は、松葉杖を手にとって。
リハビリ室にダッシュした。
[PR]
by akiaki2u | 2008-06-24 13:45 | 入院生活

勘違い

f0148699_17125439.jpg


自分の無知さ加減におびえた。

どうも私は、ひと文字違いで憶える癖があるようだ。
いい年こいて、情けないことではあるが。

「両くるぶしのダメージが大きすぎます」
「くるぶしが機能しないと歩けません」
「くるぶしが欠けました」
「くるぶしにヒビが入っていました」

医師は、「くるぶし」を連呼した。
非常に笑える会話ではないのに
もちろん私も真剣なんだけど
でも、心のどこかでこう思ってた。

「先生もアホだな。くろぶしなのに」と。

ここで、自分が間違っていて自分がアホだってことに
なんで私はすぐに気がつかないのだろう。
相当、自意識過剰なんだね。
つーか。くろぶしって。演歌か何かかっちゅーの。

「ギプスをします」
「ギプスで固定します」
「ギプスはきつくないですか」
「ギプスをはずします」

医師は、「ギプス」を連呼した。
この時も、私は毎度こう思っていた。

「先生、ありえないから」と。

後日。「ギプス室にきてください」と言われ
「プっ。まだギプスとか言ってるし」などと思いつつ
その部屋の前にきた時
私は思いっきりのけぞった(車椅子上で)。

「ギプス室」と、堂々とドアにステッカーが貼ってあった。

私はそれをみて、ようやく自分のミスに気づいたのである。
マジか。ギブスじゃないのか。
ぎぶすじゃなく、ぎぷすだったのか。
気づくまで、随分長い道のりだった。

そのほか。
言葉の間違いではないけれど、
昔の常識、今の非常識よろしくで
自分の思い込みが、いかに医学的根拠のないものかとゆうことを
数え切れないほど知った。

入院を経験し、一般常識までもを学んだ私なのである。
[PR]
by akiaki2u | 2008-03-05 17:25 | 入院生活



バスにひかれた元バスガイド 復活迄の日々と今を綴ります
最新の記事
感謝
at 2010-10-01 22:49
痛みの種類
at 2010-09-17 10:18
動脈
at 2010-09-11 15:57
写真
at 2010-04-28 22:02
パラリンピック
at 2010-03-16 22:35
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧