人気ブログランキング | 話題のタグを見る

バスにひかれた私のBLOG

怒り

怒り_f0148699_22282525.jpg



「なめられてんじゃないの」
「もっと言ってやったほうがいい」
「なんで怒らないのよ」

そう言うひとが、たくさんいた。
わかってる。
言われなくてもわかってる。
私だって、言えたらどんなに楽かと思う。
ぶつけるところがあれば、少しかは楽になれると思う。

だけど。

その感情をぶつけると、もっともっと怒りが増す。
もっともっと、やりきれない思いが大きくなる。
辛い。そっちのほうが辛いんだ。

言いたいのに。
ぶつけたいのに。
だけど、我慢しなくてはならない私の今。
みんなに理解してくれとは言わないけれど
私のことを思っての言葉なのはわかっているけれど。

でも、周りにそう言われるたびに
なにか悲しくなった。心が重たくなった。

できるだけ客観的に、自分の状況をみた。
私の個人的な感情を消して消して消しまくって。
けど、それでもやはりひどいものだったと思う。
会社の対応も、運転手の対応も
それは、事故の傷に塩をぬるかのように
傷以外の箇所にも傷をつくるかのように。
決して、悲劇のヒロイン的感情じゃない。

同じ言葉を話す者同士なのに。
同じ国で暮らす者同士なのに。
でも、何もかもが通じない。
通じるものが通じない。
だから、そこに生まれるものは
更に増長された腹立たしさだけ。
通じないひとに、何をどう訴えても通じるわけがない。

足のことを自分自身で乗り越えるために必要な心のバランス。
その大事なバランスを、大きく崩す結果しか生まれない。

だから、ある時期に達するまで。
私は、そこに感情を持つことをいっさいやめたんだ。
いつかやってくる時期。
そこに到達するまで、あの人達に対する苛立ちを
全部脳みそから排除した。
それは、小さな器の私には、簡単なことではなかったけれど
そうしなければ、足に向かっていけなかったんだ。

ひとを憎むことはしたくない。
そこには、何も生まれないからだ。

私はできた人間じゃないから
もし誰かを憎んでしまったら
何もかもを、そのひとのせいにしてしまうかもしれない。
何か不都合なことが起こるたびに
「あいつのせいだ」と思ってしまうかもしれない。
そんな格好悪い生き方はしなくない。

けれど。
怒りは捨てられない。
仮に、あの人達。
私じゃないひとが、私の立場になったとして。
その時にも、おそらく同じ対応しかしないと思う。
そこへの怒り。

もしかしたら私とゆう人間は
怒りをエネルギーにしているのかもしれない。
by akiaki2u | 2008-06-21 23:29 | その他
<< 復活の日 サイン >>



バスにひかれた元バスガイド 復活迄の日々と今を綴ります